聖火ランナー佐藤真海選手「灯し続けることで一体感を」〜オリンピックとパラリンピックの境界について考える

2014/03/09矢萩邦彦

パラリンピック開会式前日、聖火ランナーを務めた陸上(走り幅跳び)の佐藤真海選手。沿道のオーディエンスから声援を受け、弾ける笑顔でソチの街を走り抜けました。

余計なことは言えない。

沿道に集まった子供達の声援を受け「盛り上がっている中で走ることができて、とにかくすごい楽しかった。一生の思い出になりました」と笑顔で語る佐藤選手は、「改めてその重みを感じました」とも。出場選手に向けたメッセージを求められると「今は集中力と緊張感が最高潮だと思う。同じパラリンピアンとして余計なことは言えない」とアスリートらしい一面を覗かせました。

「ジャンパーだし、聖火リレー中も何度かジャンプしてしまった」という佐藤真海選手

聖火を灯し続けることで一体感を。

聖火については「できればオリンピックのものをそのままパラリンピックまで灯し続ける方が、より一体感が出るのでは?」とオリンピックとパラリンピックの間にある境界線に触れるシーンもありました。

実際、オリンピックとパラリンピックはロゴマークなども違い、看板、垂れ幕、ポスターその他、街中がパラリンピックの装いに着替えます。オリンピックのお下がりでは無く、パラリンピックのために作ることに意義があるという意見もありそうですが、切り替えることのメリットとデメリットをもう一度パラリンピアンの意見も取り入れて考える必要がある気がします。

「パラの魅力を伝えたい」と熱意を語る佐藤選手。サービス精神に報道陣にも笑顔が伝染

平等とは何か、考える契機に。

聖火には努力、決断力、勇気、平等、インスピレーションという意味がある、と佐藤選手は強調します。それらの言葉とても抽象的で、否定しにくいものです。しかし、たとえば「平等」や「平和」を目的としているならば、どんなことでも許容してしまうような空気があるならば、それは問題ではないでしょうか。

「平等」のためにオリンピックと同じものを続けてつかう。
「平等」のためにオリンピックと同じように新たにつくる。

2020年の東京開催に向けて、パラリンピックにもにわかに注目が集まっています。表層や結果だけ追うのではなく、考える契機になるよう、メディアを作る側も見る側も自覚を持つことでパラリンピックを迎える準備ができるのではないでしょうか。

(2014年3月 Yahoo!個人掲載)

矢萩邦彦(Kunihiko YAHAGI)

教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(命名は松岡正剛)。予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で江戸的私塾『鏡明塾』を展開、分野にとらわれない現代版陽明学を実践している。学校機関でも特別講師として平和学・社会学・教育学など講演。また教育コンサルタントとして学生や保護者へのアドバイスに留まらず、講師研修・企業研修等も手がけている。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードではジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。

パラリンピック2014

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