「僕は知識も経験も少ない」カンボジア・スタディツアー高校生レポート:三浦優哉3

2014/04/11三浦優哉

4日目、この日は朝5時に高校生4人はホテルのフロアーに集合しました。菜津紀さんから前日のミーティングでHIV感染者が隔離された村に行くことが知らされました。この時僕はそんな貴重な体験ができるとすごく嬉しく、またわくわくしていました。

約1時間半かけてついた村はごく普通の村でした。僕の想像と違ったのは子供がたくさんいたことでした。まだ、クメール語が分からなかった僕にとっては子供でさえも最初は接するのがとても難しく感じました。これほどコミュニケーションが難しく感じたのはこのツアーが初めてだと思います。ですが前にも述べましたが、カンボジアの人々のすごいところ、すぐに心を開いてくれるところによって僕は救われました。ジェスチャーで写真を撮ってもいいかとしてみると、最高の笑顔を見してくれました。

この時、僕はこんな笑顔ができるなんて今の生活からじゃ到底理解できない、どうしたらこんなに笑えるのだろうか、僕の方がまだ裕福なのにどうしてこんなに笑えないのだろうか、疑問に思いました。それは心のどこかで裕福=幸福と考えていたために出てきてしまった疑問ではないかと思います。ましてや、HIVに感染しているというのにどうして。どうしてなんて追及していっても答えは本当にあるのでしょうか。

今言えるのは、僕は知識も経験も少ないということです。また、HIVに感染している妻を持つご主人さんの言葉、「妻がHIVであろうと愛しています。」そんな言葉が聞けたのが本当に嬉しかったです。今の科学ではHIVは治りはしない病気ですが、いずれ治る日が来る、なんなら僕が治療法を見つけてみせるって思えた瞬間でした。とにかく、何か力になりたい、いや力にならしてほしいとこの村で思いました。なにかよくわかりませんがこの村に来て僕の何かが変わったような気がしました。

村の子どもたちが最後まで追いかけてきてくれた

午後はバッタンバンに向けて移動でした。長時間のバスはとても疲れましたが、バスの中での会話はとても楽しかったのは今でも覚えています。

5日目、この日はタサエン村に向かうためにすごく朝早くに集合でした。ここからはタサエンについて七日目の午前のまとめをします。タサエン村は正直に言って田舎で、僕の記憶では畑がとても多かったです。この畑ですがもともとは地雷原でした。滞在中、地雷の爆破も目にすることができました。地雷は思っていたのと全然違うのが素直な感想です。何といっても爆破した時の振動が体の奥まで入ってくるのが遠くにいても感じることができました。

対人地雷は人を殺すのではなく中途半端に痛みを与え、体の一部分を奪うと聞いた時は、なぜかすごく体が熱くなりました。そんなものが必要なのか、なぜ存在するのか、そんな答えなんて出ているような問いにどうしても納得できない僕がそこにはいました。地雷の使う背景は知識として知っているがどうしても現実として受け入れることができない、これは今も変わりませんしこれからも変わらないと思います。

現場で指揮をする高山良二さん
地雷が爆破されたあとの地面には大きな穴が
爆破された後の不発弾の破片

そんなことを束の間ですが忘れさしてくれたのはカンボジアの人々の温かい心でした。僕たちが寝泊りをした宿舎では夕方に日本語学校が開かれていました。そこに参加する機会がありみんなの前で僕が自己紹介したり、日本語で歌を歌ったりしました。そのほかにも数人に日本語を教えたり、一緒に遊んだりしました。日本語教師のラクサさんは僕と同い年の17歳だったことには本当にびっくりしました。すごく丁寧にまた多彩に日本語を話している姿は僕もこのように母国語以外にも違う言葉を話してみたいと強く思わされました。

何度もこの日までに感じていることですがカンボジアの人々はほんとに優しく、よく笑い、その笑顔を見ているだけど僕はすごくいい気持ちになり嬉しくなりました。人が笑うのをこれほど快く感じたのは過去に例がありませんでした。人が笑顔になること、それは昔から大好きでした。カンボジアでは沢山の笑顔が見ることができて幸せでした。

タサエンは本当にいいところでした。とにかく星がきれいでした。僕の家の近くでは町の光のせいであまり星がきれいに見ることができません。しかしタサエンの夜はほんとに真っ暗で静かなので少し寂しいと思ったりもしましたが、この日まで感じたたくさんのことを整理するいい時間となりました。タサエンには絶対にもう一度訪れたいです。

毎日子どもたちが通ってくる日本語教室

そんな楽しかった時間も過ぎていき七日目の朝、シェムリアップに出発する前のタサエンの人との別れはこれまでにないほど寂しさを感じるものでした。たった数日しか一緒にいなかったのにその数えられるほどしかない時間で僕はこれほど寂しく感じられるのかと少し笑えたりもしました。

長いと聞かされていた移動時間は意外と短く、シェムリアップのホテルに到着し、その後すぐにトゥクトゥクで現在も稼働中のごみ山に行く機会がありました。プノンペンのごみ山とはまったく違いたくさんの人々が次々にもってこられるごみの山をあさっていました。男の人や女の人、僕と変わらない年の子や小学生かそれ以下の年に相当する子もいたので年齢の幅はすごく広かったのが驚きです。

ここで僕は前にも感じたことを再び強く感じることがありました。ある女の子に「サム、トート、モイ?(写真を一枚とってもいいですか?)」と聞きました。その子は家族みんなで働いてやっと生活ができていて、そのためにお母さんとお父さんは隣の国、タイに行って出稼ぎをしていて、年下の兄弟がいて生活に苦労しているとのことを辛そうに話していました。

そんな辛そうな顔を写真におさめたかった僕はさっきの質問をしました。しかしファインダー越しに見たその女の子の顔は笑顔でした。これまでにないほど「なぜ?」という言葉が僕の心をつかみました。「なぜ、この子は人には理解できないようなすごく辛い生活をしていきて今もなお続いているというのにこんな笑顔ができるのか、なぜだ?」。思わず僕はその笑顔を自分の目で見て涙が出ました。今でも思い出そうとすると涙が出そうになります。そのくらい自分の心に強い影響があった瞬間でした。

ゴミ山で出会った一人の女の子。この子の笑顔だけがどうしても忘れられない

三浦優哉

兵庫県立西宮甲山高校2年生(参加当時)。2014年春カンボジア・スタディツアーに高校生チャレンジ枠として参加。

Cue Words

Powered by Wikipedia.

三浦優哉カンボジアレポート

comments powered by Disqus

Next Quest