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「ずっと誰かと食事ができるんだと思うと本当に嬉しかった」カンボジア・スタディツアー高校生レポート:西端雅(1/5)

2015/05/07西端雅

私には幼い頃の記憶があまりない。ある人が言っていた。「人は、忘れたい記憶は忘れるようにできているらしい。」そうかもしれないし、そうではないかもしれない。確かに、覚えていることは少ない。ただ、幼い頃の寂しさは簡単に忘れることはできないのだと思う。

ふり返ってみれば、小さい時から私は愛情を求め、必死に自分の居場所を探していた。

小学校入学時には、すでに母子家庭で母と兄たちと暮らしていた。裕福ではなかったが、はじめはとくに何も思わなかった。母のことが大好きだったからだ。母の仕事についても幼いながらに理解はしていた。だけど、ある時から母はあまり家に帰らなくなった。そうして、近所だった祖母の家への行き来が始まったのだ。食事と寝起きは祖母の家、朝は学校へ行くために自転車で自分の家に帰った。仕方がないと毎日思っていたけど、ある日、思い立ったように父の家へ泊まりに行ったことがある。その時に、父のところで暮らすことを決意した。その方が自分にとって良いと思ったし、ただ、本当に寂しかったのだと思う。まだ、私は小学校2年生だった…。

父の家では、祖父母もいたので寂しい思いをすることはなくなり、「子ども」として不自由なく暮らしていた。でも、小学校6年生くらいの時に事情があって、祖父母と別れて暮らすことになってしまった。父は出張が多くなっていたが、幸いにも祖父母の家は近所だったので、よく泊まりに行った。中学生になっても部活をしながらそんな感じだったけど、いつも変らぬ愛情を注いでくれた祖父母のおかげで、私は「普通の家庭」というものを知った。その頃が一番幸せだったと気がついたのは、祖父が亡くなり、父と二人で暮らし始めてからだった。それから今まで、孤独と向き合い続けた。寂しかった母子家庭、幸せだった中学生時代、祖父のいない本当の父子家庭。それは、寂しすぎるものだった。

こうした過去があり、私は「家庭とは何か」「親子の愛とは何か」と、考え続けるようになる。そんな中で、カンボジアスタディツアーに参加させていただけることになった。私のことは、ざっくりとこんな感じにしておいて! 今からは、カンボジアでの体験や滞在中の思いなどにふれていきたいと思います!

一日目

2月18日10時30分頃、私たちは関西空港を後にした。想像よりも長いフライトが始まる。飛行機に乗ってもカンボジアに行くのだという実感がなかった。10日間も日本を離れることがイメージ出来ていなかったのだと思う。少しだけ残っていた課題図書を読み終えたところで、「カンボジアに行くんだ!」と強く自覚した。他のスタツアメンバーもほとんどが読書をしていたけど、お昼寝している人、iPadで動画を見ている人、と本当に自由。(笑)

数時間後、ホーチミン国際空港に到着!乗り継ぎの時に関東組を発見し、無事に合流できた。乗り継ぎ時刻までの待ち時間に、全員そろっての簡単な自己紹介。みんな、初めまして感全開!

そんな感じで、ようやくカンボジアに!空港から出た時には、もう夕方。まず、日本とは匂いが違った。「これがカンボジアか!」と、感動したと同時に私は思う。「とにかく暑い」。暑いのが苦手な私は、10日間大丈夫かなと少し心配になった。(寒いのも苦手です…。)

その後、バスで移動。「KHMER SURIN」というレストランにて夕食!これまた、さらりと自己紹介をして、「かんぱーい!」スムージーを頼んだり、美味しい料理を口に運ぶ、口に運ぶ。(笑)

父が出張中は毎日ひとりで食事をしていたので、この10日間はずっと誰かと食事ができるんだと思うと本当に嬉しかった。喜びを噛みしめながら周りを見渡すと、笑顔がいっぱいで、ほんの少しだけ涙が滲んだ。

ホテルの部屋は、もう一人の高校生チャレンジ枠で参加していた、同い年の近藤礼奈ちゃんとずっと同室。実は、出発前に懇親会というものがあったけど、その時、私たちはあまり話しませんでした。人見知りではないですが、 ただ単にタイミングがなかったのも事実、お互い大変なことが多かったから何を話題にすればいいのかわからなかったのもまた事実。そこで出発前に一度、二人で話したいと思った私は礼奈ちゃんを食事に誘った。その日から私たちは急激に距離が縮まり、のちに、スタツアメンバーから「フードファイターたち」と呼ばれる関係に!(食べることが大好きな2人!) ちなみに、ツアー中から自然と呼び捨てで呼ぶようになった。そんなこんなで1日目から仲良しの私たちは、楽しい夜を共に過ごし、2日目を迎える。

二日目

二日目、この日から売れっ子ガイドさんの、バンタさんにお世話になる。私たちは2月に訪れたが、4月頃のカンボジアは38~40度くらいにまで気温が上がるらしい。みんなを運ぶバスがガソリンスタンドを通った時にも、雨季の時にはガソリンスタンドで雨宿りをしたりすることやカンボジアではゴミは分別しないことなど、バンタさんは沢山のことを教えてくれた。そうして、移動中のバスはそろそろ目的地へと到着する。

午前中はキリングフィールドを訪問。キリングフィールドは、ポルポト政権下で大虐殺が行われた処刑所だった場所。この時代、プノンペンの人々は一人残らず市から追い出され、国道では大勢の人が亡くなった。その道には数えきれないほどの死体があったという…。教育も宗教も禁止された人々は、「優先すべきことは農業」と、休むことなく強制的に働かされた。

バンタさんの解説を聞きながら見学する。キリングフィールドでの処刑は銃を使われることはなく、竹や鉄の棒、毒のある木の実、スラインが使われていた。キリングフィールドに連行され、殺された人が埋められた穴も残っていて、穴は120ほど作られたと聞いた。殺された人々の洋服、沢山の頭蓋骨、処刑に使われていた道具などが置かれていた慰霊塔もあった。罪もなく殺された人々がどうか安らかに眠ることができるようにと、線香と花を供え、静かに祈った。

他にも、ヤシの木の一種だという木があり、その木の葉は硬くギザギザしていて、裏切り者だと考えられた人に対し、時間をかけて殺すための首切りの道具として、その葉は使われていた。そんな中で泣き声や叫び声が止まることはないはず…。そういった声を消すため、キリングフィールドでは革命の歌が流されたという。見上げた木には葉の間から光がさしていて、眩しかった。当時この場所にはたくさんの血だまりがあったのだろうかと思うと本当に悲しくてしかたがなかった。

ここで働いていた人が言っていたという話もガイドの中で聞かせて頂いた。「殺したくなかった。でも、殺さなければ自分が殺され、家族や親戚も危険にさらされるかもしれなかった」。殺す側も殺される側も、すべての人がきっとひどい精神状態だったのだろう。そうした話を聞きながら道を歩いていると、足元には骨が埋まっていた。「どうして私は、この道を歩いているのだろう…」と、ショックで言葉がでなかった。それと同時に、「私たちは来させて頂いている。学ばせて頂いているんだ」と、実感した瞬間でもあった。

そうしてキリングフィールドを後にし、お昼は新しくできたイオンに向かった。歴史の重みを胸に、私たちは気持ちを新たにする。

イオンで和やかに昼食をとり、デザートにパンケーキを食べたけど、まさか、カンボジアでパンケーキを食べるなんて思ってもみなかった!!いやぁ、美味でした。 だけど!!!ここで私は、人生で初めて食べた。虫を…!!!!!お惣菜コーナーで売っていたコオロギのから揚げ。思ったよりも早く口に運べたのには自分でも驚いたけど、コオロギは意外とエビ味。私がこの世で一番苦手なもの。そう!!それは、虫!そんな虫嫌いはカンボジアで少しはどうにかなった気がする。気が、する…。(笑)

午後は、トゥールスレン刑務所博物館に向かう。トゥールスレン刑務所は1979年1月10日にベトナムのジャーナリストによって発見される。元々は高校だった場所。ここでは、約2万人が監禁され、尋問や拷問をうけた。囚われた人は、子ども、農民、老人、医者、教師、外国人、軍人、政治家と様々だった。A、B、C、D、4つの棟にわかれていて、A棟には政治家などが監禁されていた。このA棟の部屋には、鉄製のベッド、机、椅子などがあり、1人を拷問するのに3人ほど人がついたらしい。棟に電線が張られているが、1人の女性が飛び降りて死亡してからできたもの。

そして、約2万人のうちで生き残った人が7人だけいた。その中の1人のチュンメイさんが時間を割いて、私たちにお話をしてくださった。チュンメイさんは自ら、独房の中に入り、当時のことを再現する。足かせがつけられ、食事は1日1回だけと少なく、虫がたくさんよってくるが、空腹のため、その虫を食べるしかなかった。拷問は、手と足の爪をはがされたり、電気を流されるなど。排泄の時には、汚してしまうと床を舐めて綺麗にしなければならなかったと。体験した本人がつらい当時のことを語っている目の前で、涙は流したくはなかった。そう思っていたのに、あまりにも悲惨な内容と、真実を伝えようとするチュンメイさんの真っすぐな瞳を見た私は、最後まで涙をこらえることができなかった…。せめて、忘れることがないように、そして私も伝えることができるよう、懸命にメモをとった。また、チュンメイさんはいくつかの質問にも答えてくれた。

●どういう思いでここを残しているのか。
「同じ思いをしたくない。だけど初めて思い出した時は立っていられなかった。涙が出た」。
●どういう気持ちで生きていたのか。
「明日は来ないと毎日思っていた」。
●この刑務所でスタッフとして働いていた10代の子どもたちについて、どう思うか。
「大人よりも子どもの方が使いやすかったのではないか。赤ん坊までもが殺されたのは、裏切った者の家族を滅亡させるためだったのかもしれない」。
●若い世代がポルポトについて、あまり知らされていないことについて。
「親やお年寄りは思い出したくないから知らせない。でもそれは良いことではない。あった出来事が忘れられ、同じ出来事が繰り返されるかもしれない。だから若い世代には知らせるべきだ」。

チュンメイさんは、今、若い世代に自身の体験を伝え、貧しい人々の応援を続けている。彼は、微笑みながら語る。「二度と同じことが繰り返されないように。過去は過去として、今後をどうすべきか。みんなでやっていくこと、そして、平和や開発が大切なのだ」。チュンメイさんの笑顔を今後、忘れることはないだろう。

夕食は、カンボジア鍋。ヘルシーでスープも優しい味だった。近くに座っている人と色々な話をしつつ、のんびりと食べる。穏やかな時間を過ごした。

命について深く考えた、この日。ミーティングを終えても、メンバーみんなが見たもの聞いたものをどう自分の中で消化すればいいのかわからない状態だった。でも、はっきりとしたことがある。それは、話を聞いた人にはその責任があり、伝えるということは、歴史を見つめるということにつながっているということ。この日は、すぐに寝付くことができなかった…。

西端雅

第一学院高等学校3年生(参加当時)。2015年カンボジア・スタディツアーに高校生チャレンジ枠として参加。

西端雅カンボジアレポート

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