「また来るよ、必ず来るよ」カンボジア・スタディツアー高校生レポート:大隅菜摘子4

2014/04/11大隅菜摘子

5日目~7日目

5時にホテルを出発し、タイ国境付近のタサエン村へGO~~タイ国境付近は最後まで戦っていた場所。朝ごはんを食べたパリ―特別市はポルポト軍が守り抜いた都市だそう。守り抜いた?どういう事なんだろう?。

そしてお昼前にタサエンに到着。IMCCDの宿舎で2泊3日!お世話になりました。

タサエン村1日目

まず最初に驚いたこと。トイレが全手動ウォシュレット。トイレットペーパーがない。抵抗ありまくりで1日目はトイレをずっと我慢していました。でもこれも、コオロギと一緒で慣れてしまえば何ともなかったです。

地雷除去を見学させてもらった。

147高地という地雷原へ。その道中、IMCCDの代表の高山さんから「事故は地雷原じゃないところで起こっている」というお話を聞いた。地雷原に着くと、一面がDanger Mines!!!と書いてあるのかと思ったら普通に農地になっていた。本にも農地になっている、と書いてあったけど私は、そんなの一部だけでしょ~と思っていた。

が、しかし本当に農地になっていた。自分はこの地雷の問題を甘く見ていたのだと思う。

この日処理をしたのは、ロケット弾、迫撃砲、地雷(中国産・対人型)の地雷。まず、埋まっているのを見た時思ったのはこんな簡単に埋まってるものなの?と驚きでいっぱいだった。不発弾、地雷を見たのは初めてだったのでこんなに錆びていて小さいのにどっかーーんといくのかな?と思っていた。爆弾のある場所から200mほど離れて爆破処理を見学させてもらった。

これが不発弾だ。爆破の様子はドーンとお腹に響くような感じで黒煙が空に大きく舞い上がった。怖かった。とにかく怖かった。

本当に自分は地雷、不発弾の問題を甘く見ていたと思う。昔よりもかなり少なくなったとはいえ、指定されている地雷原で約400万個の地雷が埋まっている。指定されていないところも合わせたらもっとたくさんある。取り除くのに1年で1万個だから400年以上、すべて取り除くのにかかるのだ。地雷は未来の子供たちにまで被害が及んでしまうかもしれない。一刻も早く処理をしたいけれど地雷除去は時間のかかる仕事だ。99%安全ではなく100%絶対に安全にしなければいけない。ディマイナーさんも仕事中は危険と隣り合わせだ。現場を見て本当にそう思った。

日本では不発弾が見つかると大変なニュースになって報道されるけど、ここでは簡単に見つかって爆破処理をして…と考えると本当に日本は恵まれた国で自分はめぐまれているなぁと実感した。

農村見学ということでそのあとは小学校へ!!やっぱり子供はかわいい!算数の授業中でした。ここでも「勉強は好き?」と聞くと「大好き!!」と返ってきた。

その後日本企業の工場見学へ。日本の100円ショップで売っているものを作っていた。「おお~!これ日本で売ってるじゃん!」「こんな風にして作るんだ」「みんなとにかく仕事が早い!」「こんな簡単に作れちゃうのか」と思いました。

村の大切な雇用を作っていてここがあることで貧困を防いでいるんだなとかんじた。働いているのは9割方女の子だった。

企業見学の後はIMCCDが支援して日本に留学している2人の子の家庭訪問へ。留学生の子が書いた手紙をその子の両親に渡した。一人の家庭ではその場で手紙を弟が読んでくれた。お母さんは内戦の影響で字が読めないそうだ。ガイドさんが通訳してくれたが、家族を心配する内容ばかりだった。私は家族を大事にしていただろうか?母にはいつも反発ばかりして妹にはイライラすると当たってしまってばかりで。我慢していたけれどバスの中で涙が止まらなかった。カンボジアに来て改めて大切なことに気がつかされた。

その後、慰霊塔へ。対戦車地雷の事故でディマイナーさん7人が亡くなったそうだ。本当に地雷は恐ろしい兵器だ。こんなもの世界からなくなればいいのに。言葉が出なかった。

村へ帰るとちょうど日本語学校の始まる時間だった。続々と生徒が集まってきてあっという間に教室はいっぱいに!私は折り紙の折り方の本を自分で折り紙で作って持って行った。喜んでもらえたみたいだったので良かった。

タサエン村2日目

今日はまずタイ、カンボジア国境まで行った。日本は島国だから他の国に行く!となると飛行機に乗って、となんだか大変な感じがするが陸続きの国境を見てみるとそうでもなかった。国境の向こう側のタイにも今度行きたいと思った。なんだかすごくワクワクした!

この黒い門の向こう側がタイだ。国境付近は人が多かった。タイに出稼ぎに出ている人がたくさんいるそうだ。
出稼ぎ用の特別なビザもあってカンボジアからタイへ行く人がおおかった。オレンジのゼッケンを着ているのが出稼ぎに行っている人。

その後建設途中の日本の工場を見学してた。その時思ったことが、カンボジアに来ている日本人はとにかく楽しそう、明るい、とにかくよく笑うということだ。私があってきた人たちがそうなのかもしれないけど、良く笑っていて何をするにもすごく楽しそうだった。

その後地雷の被害にあったお爺さんに会いに行った。お爺さんはもともとクメール・ルージュの人で最後までポルポト軍として戦い抜いた人だ。タイの国境付近に住んでいる人はクメール・ルージュだった人が多くポルポトの幹部たちがきちんと納めていてもともと都市部にいた人たちよりもいいあつかいをうけた人が多い。

お爺さん曰く、ロン・ノルは王がいない間にクーデターを起こしたから王をだました大うそつきだ、とおもっているそうだ。トゥールスレン刑務所に行った時クメール・ルージュの幹部の顔写真が消されていたり、「killer」と書かれていたからカンボジア国民がみんなポル・ポトを嫌い、憎んでいるのかと思ったらそうでもなかったことに驚いた。

お爺さんは内戦が終わった後タイの難民キャンプから戻ってきて自分で地雷原だった場所を処理して土地を広げていったそうだ。

お爺さんは両足義足だった。でも義足が見えなければそんなこと全く分からない。お爺さんが育てているパパイアを一緒に収穫に行かせてもらった。大きなパパイアがいくつも入った袋を軽々と持ち上げてひょいひょいとお爺さんは歩く。熟れたパパイアはカンボジアでは売り物にならないそうで、熟れたパパイアを丸かじりさせてもらった!とってもおいしかった!!

地雷は悪魔の兵器で「対人地雷」と言っても人を殺すのではなく人に怪我をさせるのを目的とした兵器だ。1人に怪我をさせてもう1人その人の看病に当たらせて兵力を2人減らす。しかも怪我をした人は一生その怪我と付き合っていかなければならない。こんな非人道的な兵器があっていいわけがない。

自分の友達にカンボジアにいくよ~という事を伝えたら、「地雷よりも今は交通事故のほうが多いから気をつけてね~」と言われた。確かに今カンボジアでは交通事故が多い。でもこんなことが言われるという事はそれだけ地雷に対しての認識が低いのかなぁ、もう解決したと思われているんだなぁ、カンボジアに来て改めて思った。日本には地雷がないし、400万個だなんて大きな数、全然想像もつかないと思うけど、「大きな社会問題だ」と認識してほしいなと思った。

そのあとキャッサバ(芋)焼酎の工場見学へ!80度の焼酎を味見している大人の人はすごい顔をしていてとても暑そうだった。ちなみにキャッサバはそのキャッサバの木の枝をさしておけば芽が出てきて育つそうで半永久的に芋が出来るそうだ。すごい生命力…

この木の枝がキャッサバだ。

さて、宿舎に帰ると今日も日本語教室があるという事なので日本語教室へ行きました!!昨日私が渡した折り紙の本を使って折り紙を折ったり、私があやとりでマジックをやったり(一番うけました笑)外で走ったり。すっごくたのしかった。仲良しの女の子もたくさんできて家族みたいな感じがした。

その日の夜は焼き肉パーティーで歌ったり踊ったり素敵な夜でした。その日の夜ごはんは日本語学校にいる子どもたちも一緒でたくさんおしゃべりが出来ました!!楽しすぎて写真を全然撮ってないのが残念です…

タサエン村3日目~タサエン村最終日~

帰りたくない~~~!!!朝からずっとこれをいっていた。朝ごはんを食べた後地雷の説明、地雷除去のデモを見させていただいた。

この大きな地雷が対戦車地雷だ。100㎏くらいの重さがかかると爆発する。
右手前にあるのがまきびし。他は対人地雷だ。

1つのレーンの幅は1mくらいで慎重に慎重に少しづつ金属探知機を使って前に進む。手間のかかる仕事だ。でもそれだけ大切な仕事だ。一年に地雷撤去が出来る数はだいたい1万個。400万個あるという地雷を取り除くのに400年もかかるのだ。次も世代にも地雷の被害にあう人がいるのかもしれないと考えると悲しくてしょうがなかった。

3日間お世話になったタサエン村をでてバスでシェムリアップへ!タサエン村を出る前に日本語学校で仲良くなった子たちがお見送りに来てくれた。1人、私とものすごく仲良くなった子が帰らないで、といって泣いてしまった。これには私も泣きそうになってしまった。また来るよ、必ず来るよ。こういってバスに乗り込んだ。

大隅菜摘子

東京都立千早高校1年生(参加当時)。2014年春カンボジア・スタディツアーに高校生チャレンジ枠として参加。

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