カルチャーショック1:初海外@USA, Los Angels

2014/03/01佐藤慧

「カルチャーショック」とは、自分の属する社会の価値観とはかけ離れた価値観に出会うことで感じる違和感、衝撃、驚きといったような感情のことだと思う。僕が初めて海外へ出たのは21歳のときだった。その後、様々な国へ足を運び、その度に小さな殻に籠っていた自分に気づき、また、世界の広さに驚嘆したものだった。少しずつ、しかし確実に剥がれ落ちていく既成概念。そして新たに開ける地平線。様々な価値観に触れることで、僕は世界への畏怖と感動を知った。

初海外はLAだった。当時、大学で音楽を専攻し、大阪のライブハウスでロックバンドのギタリストとして活動していた僕は、ロックの本場、アメリカのライブハウスに対する強烈な憧れを抱いていた。友人のベーシストと共に勢いで航空券を買い、ほとんど英語も喋れないまま西海岸の地を踏んだ。カルチャーショックは既に空の上から経験していた。上空1万メートルから眺めるアメリカの大地は、途方もなく大きく、奇妙な茶色い大地には命の存在を感じなかった。それは日本の田舎に生まれ育ち、豊かな緑を駆け回っていた記憶からは想像も出来ない光景だった。

空港に降り立ち、街中へ向かう。端から端まで100mはあろうかという幅の広い道路。日本では絶対に車検を通らないであろうポンコツ車が時速140キロ以上でハイウェイを飛ばす。ホテルのレストランでは英語も喋れず、チップの払い方もわからずに困惑したのを覚えている。頼んだピザは途方もなく大きく、ジョッキで運ばれてきた水は1リットルはあろうかという量だった。(ちなみに生まれて初めてネイティブスピーカーに話した英語は、そのあまりに大きすぎるコップを指さして言った”Water?”だった)。

まったく頼りにならない日本語のガイドブックに載っていた地図を投げ捨て、現地の本屋で購入した地図を頼りに通りを練り歩く。日本の感覚で歩いていると、いつまでたっても目的地につかず、その広さに足を痛める。まるで大きいことが誇りであるかのように、すべてのものが大きく、力強さを誇示していた。初めて経験する多くのことに疲労困憊し、本来の目的地であったライブハウスでは立ったまま眠りに落ちそうなほどだった。

白いリムジンから手を振ってくれたセレブ。夜のブロードウェイを徘徊するホームレスの母と娘。ショッピングセンターのレモネードで手を洗う親子。豪邸の建ち並ぶビバリーヒルズ。真夜中に迷子になった時に足を止めた教会から聞こえてきた力強いゴスペル。世界とは、なんと広いのだろう。自分の住んでいる世界とは、ほんの一部に過ぎないのだ。そんな衝撃を受けた、21歳の秋だった。この時から、世界への好奇心、未知の価値観の探求が始まったように思う。まさか数年後に自分がアメリカで働くことになるなんて、その時には想像も出来なかった。

(2010年9月 旧E-PRESS掲載)

佐藤慧(Kei SATO)

1982年岩手県生まれ。国際開発の分野に関わり、アメリカ、アフリカ、中米などで経験を積む。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、命の尊厳や愛を伝える手段としてのジャーナリズムや芸術活動に希望を託し活動を開始。言葉を探しつつ、風に吹かれ、根無し草のように自由に世界を漂いながら国家、人種、宗教といったあらゆる境界線を超えて、人と人との心の繋がりを探求し、それを伝えていく。

カルチャーショック

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