カルチャーショック3:いまこの瞬間に@Central America

2014/03/01佐藤慧

三つ目の国境を越えた頃から、だいぶスペイン語も流暢に喋れるようになってきた。USAのNGOからザンビアに派遣されていた僕は、その後メキシコでのスペイン語留学二カ月を経て、そのNGOで教師として働くことになった。そこで僕は中南米に向かうボランティアたちに、世界経済や時事、中南米の歴史、地理、スペイン語などを教えていた。彼らの訓練期間を終えると、僕は生徒たちを連れて車で旅だった。中米各国を視察し、最終目的地であるベリーズで彼らを降ろして帰ってくるという仕事だった。

カリフォルニアの北の端からメキシコ最南端の国境まで、昼夜走り続けて7日かかった。メキシコは経済圏としては北米に分類されるが、その歴史、文化、言語は中米諸国と非常に近い立場にある。国境という見えない線を跨ぐだけで、とたんに英語は聞こえなくなり、スペイン語の陽気なざわめきが耳に飛び込んでくる。メキシコでスペイン語を勉強していたとはいえ、僕のスペイン語は英語と比べると非常に稚拙なものだったが、国境を越える度に、否応なく上達していくのが分かった。

カリフォルニアナンバーをつけた車で中米を走るのは、「私はカモです」と言っているようなものだった。何の障害も無く越えられた国境はひとつも無い。路上で何度も警察に止められる。至る所で賄賂を要求される。中米を旅している目的は何だ、と訝しげに聞かれるたびに、僕は拙いスペイン語で必死に応戦した。また、NGOからは「なるべく金を使わずに旅を済ませよ」との通達もあったため、その日出逢ったばかりの、地元の人の家にお世話になることも多々あった。良くも悪くも毎日が新鮮な交流だった。

メキシコでお世話になった原住民の家族

そんな旅を続けてエルサルバドルへ入った頃、ある青年と一夜を供にした。仲間内以外で英語を喋る機会などほとんど無かった旅の中で、その青年は流暢な英語で話しかけてきた。聞くと彼は、幼少期に内戦に巻き込まれ親を亡くし、親戚のいたカナダに逃亡していたとのことだった。

エルサルバドルの内戦の話は知っていた。隣国、ホンジュラスとの戦争後の不安定な社会の中で、その内戦は始まった。ニカラグアで起こったサンディニスタ革命の衝撃は、中米各国に波及していた。エルサルバドルにも新しい風が吹き始めていたのだ。しかし、革命評議会による暫定政府は、USAの支援を受けた勢力にことごとく壊滅させられていった。「死の部隊」と呼ばれる闇の組織が動き出したのはその頃だ。軍部内の極右勢力からなるこの部隊は、知識人や反体制派などを日々暗殺し続けた。8年の間に7万人近い人々が殺され、その中には一般人も多く含まれていたという。「社会浄化」という名を借りて、死の部隊は多くのかけがえのない命を奪っていったのだ。

中米史を勉強し、また、教えていた僕にとって、その事実は何ら新しい情報ではなかった。しかし、目の前の同じ年頃の青年たちから直接その話を聞くと、自分は何かを知っている気になっていただけだということが痛烈に身に染みた。「今も死の部隊は活動しているよ。殺されるのは反体制派だけじゃない、夜の街でホームレスや悪ガキたちを連れ去って、人目の届かないところで消しているんだ」。

その話が事実かどうか、当時の僕には知りようもなかった。それでも、その青年がそういう不安定な社会に生まれおち、大切な人を失ったのは確かな事実だった。屈託の無い笑顔の中に、どこか寂しげな瞬間がある理由がわかったような気がした。僕がのんびり暮らしていた幼少期に、彼は命からがら外国へ逃亡していたのだ。今、この瞬間にさえ、圧倒的な暴力に晒されている人々がいる、そんなことを感じる想像力、共感力に気づいた旅だった。

エルサルバドルの海の彼方には日本がある

(2010年11月 旧E-PRESS掲載)

佐藤慧(Kei SATO)

1982年岩手県生まれ。国際開発の分野に関わり、アメリカ、アフリカ、中米などで経験を積む。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、命の尊厳や愛を伝える手段としてのジャーナリズムや芸術活動に希望を託し活動を開始。言葉を探しつつ、風に吹かれ、根無し草のように自由に世界を漂いながら国家、人種、宗教といったあらゆる境界線を超えて、人と人との心の繋がりを探求し、それを伝えていく。

カルチャーショック

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