カルチャーショック5:日の出ずる国@Japan

2014/03/01佐藤慧

この国には居場所がない、そう思っていた。忙しすぎる、日本の時計の針に追われる生活から逃げ出し、海外を転々とした。何処かにきっと、自分の落ち着ける場所があるはずだ。その考えが間違いであると気づくのに3年かかった。逃げていたのは、自分自身からだった。

生きる意味、幸福とは何なのかを探し続けて諸国を巡った。様々な人の価値観に触れることで、自分を囲う小さな檻から抜け出したかった。死というものが、全ての人に訪れる絶対的なものであるということ。その事実に触れ続けることで、僕は少しだけ、この命を与えられた意味がわかったような気がした。

久々に日本に落ち着いてみると、相変わらず凄い勢いで回る時計の針に眩暈がするようだった。圧倒的な人の量。渋谷のスクランブル交差点を歩いていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。こんなにも多くの人とすれ違うのに、誰も知らない、知りたくない。

人ごみを避けてファーストフード店に落ち着いた。温かいコーヒーをすすりながら、ガラス1枚隔てられた外を眺める。外の冷たい空気は透明な板に遮られ、僕へ届くことはない。手にしたハンバーガーからは、命を頂くという意識が喚起されることはなかった。同じ地球上に生きている人々と僕との間には、いったい幾重のガラスが張り巡らされているのだろう。手を伸ばそうと思っても、見えない何かに遮られる。

帰りの電車に遅れが出た。人身事故だという。迷惑そうに顔をしかめるビジネスマン。手中の携帯電話の世界に没頭している人々。年間3万人以上の自殺者の出る社会では、「誰か」の死は意識にも上らないほどに有り触れたものなのか。ここにもまた、ガラスがあった。ひとりひとりの心を囲むように、透明な板が世界を遮っていた。

やっぱり日本社会の空気は自分には合わない、そのように思っていた矢先、僕は多くの素晴らしい出逢いを経験することになった。連帯し、社会をより良くしていこうと勉強する学生たち、人知れず、社会から排除された人たちに手を差し伸べる人たち。本気で世界を変えようと行動する若者たち。自らの経験を若い世代に伝え、糧として欲しいと願う先人たち。みんな、みんな、より良い社会を求めていた。全ての人が冷たく無愛想に見えたのは、みんな必死に自分を守っていたからなのだ。冷たすぎる社会の風圧、歩いても、歩いても、先の見えない荒れた道を前に、自分自身を守る壁を作らなければ生きていけなかったのだ。

全ての人はすべからく幸福を求めている。幸福の形は人それぞれかもしれないが、全ての人が互いを尊重し合う形でしか、幸福は生まれない。日本社会は今、経済発展に求めてきた幸福の価値観が覆され、不安感や虚無感が広がっている。

しかし、そこを経て来た社会だからこそ、人間の優しさや人との繋がりが、幸福にとって必要不可欠だという認識も芽生え始めている。ガラスを突き破り、人間の幸福を再発見出来るのは、沢山のことを経験してきた日本だからこそ出来ることなのかもしれない。日の出ずる国の可能性の信じ、僕もまたガラスを突き破るための一歩を、踏み出して行きたい。

(2010年12月 旧E-PRESS掲載)

佐藤慧(Kei SATO)

1982年岩手県生まれ。国際開発の分野に関わり、アメリカ、アフリカ、中米などで経験を積む。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、命の尊厳や愛を伝える手段としてのジャーナリズムや芸術活動に希望を託し活動を開始。言葉を探しつつ、風に吹かれ、根無し草のように自由に世界を漂いながら国家、人種、宗教といったあらゆる境界線を超えて、人と人との心の繋がりを探求し、それを伝えていく。

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