HIVと希望と境界線と

2014/03/01矢萩邦彦

ウガンダ取材中の安田と連絡が取れました。世界中何処にいても連絡が取れることは本当に凄いことですね。メールは勿論ですが、SkypeやTwitterはまた一段と世界を縮めてくれました。今回は取材中に断片的に交わした安田からの報告を僕がナビゲーションするスタイルでお送りしようと思います。

HIV発祥の地とも言われるウガンダ。カンボジア「緑の村」での取材をきっかけにHIVを本格的に追い始めた安田は、いずれ訪れたい国の一つとして常にウガンダの名前は口にしていました。

アフリカ東部に位置するウガンダは、ナイルの水源の一つヴィクトリア湖に接する内陸国で、アフリカ有数のコーヒー生産地として知られています。1986年の内戦後、ムセベニ政権が主導したHIV対策が成功し、新たな感染は劇的に低下したといわれるものの、いまだ7%の前後の感染率という統計もあり、母子感染が判明するや育児を放棄してしまう家族も多いと言います。

今回安田は、そんな子供を抱える家庭を幾つか取材しています。

オーウェン(5)は、母子感染でHIVに感染。彼の感染が分かった後、両親は育児を放棄。母の妹の家に引き取られた。その妹もHIV陽性で、夫をエイズで亡くしている。(写真:安田菜津紀)

オーウェンのお母さんもまた体調が悪いためにレギュラーの仕事はできず、体調のいいときに、ハウスワーク等で生計を立てていて、学校へ通うにはNGOの支援が必要です。オーウェンのお兄さんは英語が上手なので、ちゃんと教育を受けることが出来れば希望はあるのではないか、と安田は言います。

レーガン(12)、4人兄弟の上から2番目。母子感染がある。(写真:安田菜津紀)

SITC(Saph Integrated Training Centre)という現地NGOの紹介で訪れたこの家庭で、一番安田と仲良くなったというレーガン。抗エイズ剤の副作用で、肌がとても荒れ、学校ではそのせいで仲間外れにされることも多く、古くからの友達も、彼らの母親が「あの子と遊んではだめ」と、レーガンと遊ばせてくれません。

彼の安田への最初の言葉は、「僕と友達になってくれる?」でした。訪問した中でも特に貧しい家庭なのに、お邪魔した日には夕食をたっぷりご馳走になり、ソマリアの戦争について話してくれたそうです。歴史と政治の勉強が好きなレーガンの夢は「弁護士になりたい」。

安田の家庭のことも聞かれて、「父親がいない」と答えると、「そっか、悲しいこと聞いてごめんね」と気遣ってくれたそうです。そんな話を遠くウガンダと繋がるネット上で交わしながら、僕らが住む日本との、時間の密度の違いをまざまざと感じていました。

安田の取材に同行していて思うことは、「取材対象」なんていう冷めた目線ではなく、「友人」であり、時に「家族」なんですね。その目線は、ちゃんと伝わっているものです。1番の目的は取材ではなく、ましてや写真でもない。彼らと出会い、対話をし、わかり合い、何かを交換すること。それをジャーナリズムと呼べるのかという議論もあるでしょうが、一面的なジャーナリズムを叫び否定する前に、もっと大事にすべき視点もあるのではないかと思います。

僕は長いこと教育業界に身を置いていますが、生徒に慕われている教師のほとんどは、生徒のことを「子供」扱いしません。同じ人間として、そして友人として、時に家族として接しているように感じます。寺山修司は「子供は子供として完成しているのであって、大人の模型ではない」と言いましたが、それはどんなものにも当てはまるのではないでしょうか。

カンボジア「緑の村」で現像してきた写真を村人に配る安田。みんな写真を楽しみに待っていてくれる。

大事なのは、そういう関係というのは、ばっと仲良くなれる人間性と、その関係を継続することが、同じように大事だということです。僕らは「密度」も「時間」もジャーナリズムにとって欠くことの出来ない要素だと考えていますが、しかしそれは別にジャーナリズムに限ったことではなく、まさに日常の人間関係もしかりです。

例えば国境で、例えば職業で、例えば病気で、人間は様々な境界線を引きます。それは時に目に見える形にまで暴力的になり、誰かが涙を流すことも少なくないでしょう。

あるジャーリストの方が「取材をすると決めたら、覚悟をして何度も現地に通わなければダメだ」と言っていましたが、はたして覚悟を決めなければ現地に通えないような状態で、人々と心を通わせ、彼らの抱える問題を伝えていくことは出来るのだろうか、と考えてしまいます。

色々な方法があり、一つの答えを選ぶことは出来ませんが、僕らはせっかく出逢って取材するからには、少しでも笑顔になって貰いたいというラディカルな想いを忘れずに行こうと思います。安田は、大晦日に帰国予定です。

(2010年12月 旧E-PRESS掲載)

矢萩邦彦(Kunihiko YAHAGI)

教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(命名は松岡正剛)。予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で江戸的私塾『鏡明塾』を展開、分野にとらわれない現代版陽明学を実践している。学校機関でも特別講師として平和学・社会学・教育学など講演。また教育コンサルタントとして学生や保護者へのアドバイスに留まらず、講師研修・企業研修等も手がけている。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードではジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。

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