ウガンダ HIVと共に生まれる

2014/03/01安田菜津紀
朝目覚めたばかりの子どもたち。1枚の布で身を寄せ合って眠る。

「さあ、畑に出るよ!」

おばあさんの掛け声と共に、小さな小屋で身を寄せ合って眠っていた子どもたちが、眠い目をこすって起き始めます。ウガンダ南部に位置するラカイ県。じりじりと照りつける太陽の中を歩き回る1日がまた始まろうとしていました。

ジャセンダさんと孫8人、10畳ほどの小さな小屋に暮らしている。

ウモロコシやパイナップル畑が斜面を埋め、一見のどかなこの地は、アフリカの中で初めてエイズ患者が見つかった場所でもあります。ジャセンダさん(69)の家族は、娘息子4人をエイズで亡くし、孫8人を彼女1人が面倒を見ています。2人の孫は母子感染でHIVに感染していますが、小作農のジャセンダさんには医療費、数十キロ離れた病院までの交通費を工面することはできません。

最近目も不自由になってきたよ、と末の孫を抱くジャセンダさん。

ウガンダ共和国は日本の本州ほどの大きさの国土に約3000万人が暮らす東アフリカの内陸に位置する国です。1982年にエイズ患者が発見されて以来、政治情勢の混乱も重なり爆発的に国内で広がりを見せました。

その後1986年に就任したムセベニ大統領によって国を挙げてのエイズ対策が始まり、1992年のHIV感染率が18%であったのに対し、2004年以降は5%台にまで減少しました。

けれどもいまだ深刻なのが、エイズで親を失ったエイズ孤児問題です。国連の統計によると、片親もしくは両親を失ったウガンダ国内のエイズ孤児の数は120万人、孤児全体の実に半数近くになるのです。

ラカイ県の南部。丘の向こうには、タンザニアの国境になっている。

ラカイ県では祖父母や親戚が多くの子どもたちの面倒を見なければならない家庭は決して珍しくなく、両親を亡くした子どもたちだけで暮らさざるを得ない家庭、子ども自身が感染している場合もあります。

残された家族たちで身を寄せ合いながら日常を生きる、それ自体が彼らにとっては闘いなのです。成果を挙げたとされるエイズ対策。その数字の裏には、忘れてはいけない無数の声が存在しています。

朝ごはんのミレッジ(乾燥させた穀物をお湯に溶かした飲み物)。1日この1食だけという日も珍しくはない。

(2012年3月 旧E-PRESS掲載)

安田菜津紀(Natsuki YASUDA)

1987年神奈川県生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。上智大学卒。

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