矢萩邦彦×佐藤慧 理想の学校、理想の教育(前篇)

2014/03/01矢萩邦彦, 佐藤慧

学校と独学と

矢萩:慧君おはようございます。いよいよ初対談ですね。

佐藤:どんな内容になるか楽しみです。きっといつまでも続いてしまうでしょうから、うまくリードしてくださいね。

矢萩:ははは、そうですね。リズミカルに行きましょう。早速ですが、今回のテーマは「理想の学校、理想の教育」というものについてです。

佐藤:(矢萩さんと出逢い)学校教育では学べないことを共有出来る人がいたというのは大きな驚きでした。

矢萩:それは僕も同じでした。どうも、学校教育って、目次をなぞっているような印象がありました。だから、共通のキーワードが出てきたときに「!」ということに成りにくいんですよね。

佐藤:勉強って本当は自主的なもののはずで、ひとつ気になるキーワードを見つけたら、そこからどんどん自分で引っ張っていく、若しくは向かっていくものだと思うんですよね。そういう意味では既存の学校の教育システムには不満を持っていました。

矢萩:そう、勉強は本来、独学の要素がかなりあると思います。既存の学校のシステムでは、自分にとってキーワードと成るような言葉を見つけにくいんですよね。引っ掛かってこないというか。引っ掛かってこないとなかなか独学に繋がらない。

佐藤:僕はきちんと学校に通っていたのは小学校6年生までなのですが、矢萩さんは学校で退屈されませんでしたか?

矢萩:僕も6年くらいまでですね。小学校よりも塾の方がちゃんと行っていました。まず、学校の友達となかなか話が合いませんでした。これは両親の影響もあると思うのですが、僕はテレビのバラエティー番組とか、ドラマだとかをほとんど見なかったんですね。だから、そもそも話が合わない。興味の対象も全然違いましたね。唯一テレビゲームが共通項だったくらいで。初代ファミコン世代です。

佐藤:あー、僕も家ではバラエティ番組はほとんど見させてもらえなかったので、芸能人の話とか、全然わからなかったですね。それは今でも変わらないのですが…。

矢萩:中学受験後に反動で、にわかテレビっ子になったのですが、本質的に余り好みではないことにすぐ気づきました。同じバラエティーでも、専らラジオの深夜放送とか、あるいは雑誌の方に行きましたね。お陰でますます学校から遠のきました。高校での欠席数は記録になったらしいです(笑)。

佐藤:サブカルには学校では得られない実生活に近い学びがありますからね。僕が中学から学校に行かなくなった理由は、単純に授業が非常につまらなくなったんです。「何のためにこれを学ぶのだろう」「こんなことしていて役に立つのだろうか」と。もっと実際に役に立つ知識があるはずだ、と思ってましたね。とか言いつつ、ドラクエやFFに没頭するのですが(笑)。

矢萩:やはり、結構近いですね(笑)。マクルーハンはラジオをホットなメディアで、テレビをクールなメディアと分類しましたが、まさにそういう風に感じていましたね。サブカルって自分との距離感が大事だと思います。ラジオは感覚的に凄く近かったですね。生放送も多かったですし。それに新しいヴァーチャルなデジタルメディアとしてのテレビゲームはとても楽しかったですね。この部分のプログラムはどうなっているのだろう、という技術的な興味もあったし、ここのストーリーはこうした方が良い、とか、このアイテムや展開の元ネタはこれだな、とかそういうことを考えながらプレイしていましたね。

佐藤:あー、非常に近いです。僕はもともと童話も好きだったので、RPGなんかの世界観のもとになっている神話などから相当多くのことを学びましたし、幼い頃からPCが側にあったという環境もあって、裏側では何が動いているのか、常に気になっていましたね。そういうところから、中学時代は学校に行かずにプログラム組んだり本に没頭したり、自由気侭に好奇心に流されていました。

矢萩:ジョセフ・キャンベル的ですね。僕も随分早くからPCを触っていましたが、Windows以前のPCから学べることは多かったですよね。プログラムというモノに直に触れられたのは、論理を磨く訓練になりましたね。機械は命令通りにしか動いてくれませんから。

批評家としての教師

矢萩:学校がつまらなかったというのは全く同感で、例えば教科書的には、柳田国男という人物にも一応さらりと触れるわけじゃないですか。しかしその先の折口信夫に到達しない。実際『遠野物語』を読んでみて、「草の長さ三寸あれば狼は身を隠すといへり。草木の色の移りゆくにつれて、狼の毛の色も季節ごとに変はりてゆくものなり」なんていうもの凄く短い一節から、色々な存在の息吹を感じるわけです。そういう魅力が、独学への興味に火をつけるわけでしょう。しかし、教えている教師が『遠野物語』を読んだことないものだから、そんなちょっとした引用が出来ない。当然そのことが伝わらないから、生徒もなかなか引っ掛かっていかない。そういう意味で、文学史なんて言うのは本当につまらなかったですね。

佐藤:そうですね、せっかく色々な扉がそれなりに用意してあっても、その扉を叩いてみたところで返事が返ってこない。ちょっとだけでも中の世界を覗けて、そこに面白そうな景色を見つけることが出来たら、あとは自分の足で歩いていけるんですけどね。その扉が何のためにあるか、その先の世界がどんなに楽しいかということをきちんと説明してくれない。勉強とは知識を詰めることではなくて、その世界に興味を持つことだと思うんですよね。

矢萩:僕は、それを授業の中でやることが出来ると思っているんですよ。もちろん全部のキーワードに詳らかに触れるわけにはいかないですし、そこは教師の好みなどで個性が出て良いと思うのですけど。自分が好む幾つかのキーワードから、引用をするだけでも違うと思うんですよね。確実に扉の向こうを少し見せることが出来る。蓮實重彦の批評なんかを読むと、本当にその映画を見たくなります。そういう批評家的な役割が教師には必要なんじゃないかな、と感じています。それに、その扉の向こうに、どんな世界をチラ見させるか、というのが教師の醍醐味でもあると思うんです。世代を越えて、同好の士を増やせるかも知れないですしね。

佐藤:批評家、書評家のような先生がいると面白いですね。思わず触れたくなるような、その世界の魅力を伝えてくれるような。いわゆる一般教養と呼ばれるもの、数学や科学や歴史など、それらの面白さを教えてくれたのは古今東西の本でしたね。優れた本は、扉の奥の世界を存分に見せてくれます。

矢萩:功山寺挙兵で伊藤博文が一緒に死にましょう、とたった一人高杉晋作についていった話や、西南戦争で西郷さんが家族に大久保の味方をしてやってくれと告げた話など、ものの数分で語れる物語の中に、世界が広がる可能性が秘められていると思います。伊藤の話なんて小学生でも歓声が上がります。歓声と言えば、僕はよく哲学の話をするのですが、バートランド・ラッセルの「世界5分前仮説」なんて、5年生でも毎回もの凄く盛り上がります。哲学なんて、大人が思っているほど、複雑なことじゃないんですよね。タイムリーですが、今日、僕のやっている鏡明塾の一般コースに、史上最年少で小学生が参加してくれました。アリストテレスやトマス・アクィナス、そしてホッブズとロックの話に、ちゃんとついてきていましたよ。

佐藤:そうですね、そこに自分なりに何かを考える、感じることが出来る余地があれば、その世界がぐっと近くなりますからね。歴史なんて本当に面白い人間ドラマの宝庫なのに、「794(鳴くよ)うぐいす平安京」、となった途端に無機質な記号になってしまいます。哲学というものも、目の前の世界を疑問に思う心から始まったもので、むしろ頭の柔軟な小学生のほうが分かりやすいかもしれないですね。

矢萩:「794(泣くよ)坊さん平安京」の方がまだ物語がありますよね。そういう編集しかり、インデックスをちゃんと出せる生身の人間がもっといたらいいのになあ、と切実に思いますね。そういう意味では僕も慧君と同じで、自分が学生時代は「本」というメディアに走った人間です。自分にとって転機と成ったような実感のある本って覚えていますか?

佐藤:僕は小学生の時に、『ムー大陸の謎』『もっとわかる時間のこと―アインシュタイン・ホーキングの時間論からタイムマシンの可能性まで』『ユングの心理学』の3冊を手に入れて以来、大学時代まで繰り返し読んでました。「世界って面白い!」と素直に実感できた本でしたね。ル・グウィンの『ゲド戦記』やミヒャエル・エンデの『モモ』なんかも今でも鮮明に残っている本です。そういう思い入れがあると講談社現代新書のデザイン変更はなんだか悲しく思ってしまいますね。

矢萩:なるほど、やはり興味の対象が似ていますね。僕は小学生の時の愛読雑誌が『ムー』『ニュートン』『遊』でした。『モモ』は好きな女の子にプレゼントするくらい、思い入れがありましたね。誰かに本をプレゼントするというのはなかなか勇気がいります(笑)。講談社現代新書の杉浦康平さんのエディトリアルデザインは、もの凄くワクワクしましたよね。まるで宝の地図が表紙についているようでした。電子書籍化を目前に、本がどんどんモノでなくなっていくような気がして淋しいですね。

佐藤:僕が矢萩さんと初めて会った時の印象が、「数年後の自分を見ているようだ」といったものでした(笑)。辿ってきた道筋、興味の対象がかなり近いところにありますね。

矢萩:導線はすぐに見えましたね。「柳田国男」→「龍樹」というたった二つのキーワードだけで、その後一緒に活動をすることを確信しました。僕は僕で、慧君と同じ歳くらいの時に、同じくらいの行動力があったら、もっと世界に貢献出来たんじゃないか、と思いましたね。一緒に活動することで、巻き返せるかも、とも思いました。

佐藤:僕は人生で初めてナーガールジュナの話を人にして、それが即座に返ってきたことに感動しましたね。自分と世界との繋がりがきちんと見えたというか。

「自分で考える」ための教育

佐藤:話がどんどんディープになってしまいそうなので戻しますが、学校教育では「自分で考える」という時間が疎かにされていたような気がします。僕のクラスが恵まれてたのかもしれませんが、小学校の頃って結構作文の時間が多かったんですよね。それが中学に入って無くなってしまった。これが結構大きな差だったのかもしれません。

矢萩:考えること、というのは、する人は放っておいてもするのですが、考えない人に考えて貰うためには、それなりにアプローチが必要なんだと思います。「暗記の仕方が分かりません」とか「どうやって考えたらいいか分かりません」という質問や相談を受けることがありますが、相談をしてくる時点で何かを考えてはいるわけで、そういう人に方法を渡すことは比較的簡単にできます。しかし、一斉授業の場で、一人一人にスルーさせずに考えて貰うことって、ある程度教師がファシリテートしないとダメなんですよね。

佐藤:公教育における教師の質の差はかなり広いと思いますね。自分がその専門分野に通じていることと、上手に教えれることとは単純に繋がりませんからね。これはジャーナリズムにも通じることだと思いますが、相手に考える余白を残した上で、なおかつその導火線にそっと火をつけれるようなファシリテート能力が求められるのでしょう。

矢萩:授業の準備、というとどうも教材を読み込む、とか分からないことや曖昧なことを調べておく、資料を用意するなどのイメージが強いので、ベテランの先生になると、全く準備をせずに授業をする場合もあるようです。しかし、それらの準備というのは言わば大前提で、むしろ「どんなタイミングで」「何を」「どう問うか」ということを何パターンも準備することが大事だと思っています。恥ずかしい話ですが、僕は鏡明塾の100分の授業を準備するのに10時間かかります。自分自身も楽しんで準備しているので時間がかかるというのもあるのですが、何が準備なのかと言うことをもっと意識する必要があるんじゃないかと感じます。

佐藤:僕もそれは最近、人前で話す機会が増えたことで実感したことです。自分の知っていることをその場のアドリブで話す能力というのは必要不可欠なのですが、その瞬間から次の瞬間への架け橋となるパターンを事前にどれだけ入念にシミュレーションしておくかで、内容の質が格段に変わります。どんな舞踊の達人でも、自由に踊れるようにするにはまずは舞台を整理することから初めておかないといけないですからね。

(2011年2月 旧E-PRESS掲載)

矢萩邦彦(Kunihiko YAHAGI)

教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(命名は松岡正剛)。予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で江戸的私塾『鏡明塾』を展開、分野にとらわれない現代版陽明学を実践している。学校機関でも特別講師として平和学・社会学・教育学など講演。また教育コンサルタントとして学生や保護者へのアドバイスに留まらず、講師研修・企業研修等も手がけている。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードではジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。

佐藤慧(Kei SATO)

1982年岩手県生まれ。国際開発の分野に関わり、アメリカ、アフリカ、中米などで経験を積む。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、命の尊厳や愛を伝える手段としてのジャーナリズムや芸術活動に希望を託し活動を開始。言葉を探しつつ、風に吹かれ、根無し草のように自由に世界を漂いながら国家、人種、宗教といったあらゆる境界線を超えて、人と人との心の繋がりを探求し、それを伝えていく。

comments powered by Disqus

Next Quest