元BC級戦犯、飯田進氏に学ぶ:過去を見つめ直す~主観と教育と教養と

2014/03/01矢萩邦彦

このイベントへの出演をお願いしに、安田と二人で飯田さん宅にお邪魔したのは、2010年7月12日のことでした。それから何度か飯田さんと交わした対話の一部をまず、ご紹介します。


矢萩:最初から沢山の「それぞれの戦争」を集めて伝えようという目的を持って、収容所で生活されていたのですか?

飯田:目的なんかなかった。だんだんそうなった。沢山の人と話しているうちに、これは伝えなければと思って、本を書くことにした。

矢萩:僕は、そのことを、伝聞でも良いから伝えたいと思っています。祖母は戦争経験者でしたが、僕は目を背けてしまっていました。祖母もあまり話したがらなかったというのもあったかも知れません。しかし、今教育に携わる中で、どうしても、直接聞き、直接伝える人間が必要だと思っています。

飯田:君は吉田松陰を敬愛しているといったね。俺もそうだ。彼は革命運動家としては極めて稚拙だった。しかし、教育者としては一流だった。僕は出兵前に松陰の墓へ行って、あなたと同じ苦難を与えてくれ、と願ったんだ。たった一冊持って行った本は吉田松陰だった。彼もまた色々やっていたね。

矢萩:確かに革命家としては、稚拙だったかも知れません。でも、教育という革命だったかも知れないとも感じます。現代の教育は閉塞感が漂う、と形容されていますが、自分自身も危機感に似たものを覚えております。そこで、一つお聞きしたいのですが、これからの日本の教育に必要なこと、今の日本の教育に足りないことはなんだと思われますか?

飯田:過去を見つめ直すこと。美しいではない。もっと醜い、嫌らしい、日本国家が意図的に覆い隠してきた近代の暗部に目を向けること。これは教育だけではなく、今の日本全部に言いたいことだ。だが、まずは教育だよ。仮に日本が復活できるとしたら、そこからしか出来ないと思っている。

矢萩:過去を見つめることが難しい世の中ですね。情報がどんどん少なくなってきていることもありますし、まずみんな見ようとしないですね。

飯田:人間は本能的に、嫌なことからは目を背ける。個人ならいい。だが、国家、人類という立場で見るならば、本能にピシャッと逆らって目を向ける勇気が必要だ。理性の話だ、分かるか?これを戦後日本はついに持ち得なかった。下方を切り捨てる。それで日本はどうなる?空っぽの国しか残らないのではないか?

矢萩:国家がそれをしなければ、本当に危ないですね。しかし、国家がしない以上、誰かが動かないと……

飯田:今まで覆い隠したものを、白日の下にさらけ出して、辛さに耐えないといけない。俺はそう思うよ。そのためになら、俺はどこにでも行くよ。あなたたちに私の未来を託したい。でなければ生きてきた意味がない。


最初に、僕は戦争についてのことを直接知らずに、戦争を教えることは出来ない。だから、せめて僕が直接、戦争体験をした方の意見を伺って、それを伝えていきたい。という話をさせて頂きました。

飯田さんは、「戦争についてすぐに簡単に話すことなんて出来ない」。と仰いましたが、それでも、少しずつ、僕らに話して下さいました。

今手に入る飯田さんの著書に『地獄の日本兵』という新書があります。そこに書かれているスタンスもまさにそうなのですが、戦争というのは、主観の集合でしかあり得ない、ということなんです。一人一人にとって、戦争は、全く違う物だった。そして、みんな、自分たちのことしか知らなかった。他の部隊のことなど知ることができない状況で、戦っていたんです。

これは、戦争に限らず、何にでも言える価値観だと思います。正義であれ、愛国心であれ、興味であれ、仕方がなくであれ、格好つけであれ、意地であれ、あるいは松本零士『ザ・コクピット』の主人公達のようであれ、です。

取り立てて、僕は日本のジャーナリズムにその必要性を感じているのです。いつもお世話になっているジャーナリスト久保田弘信さんは『僕が見たアフガニスタン』という写真集を出されました。この「あくまで自分の視点であり、経験でしかない」というスタンスを、ちゃんと表明することこそが、大事なんだと思うのです。

僕の真実と、誰かの真実は違う。

しかし、その誰かの真実を沢山知ることによって、自分の境界線を拡大し、そして世界を立体的に立ち上がらせる。それこそが、ジャーナリストの役割であり、教育者の役割だと思うのです。それを飯田さんは、巣鴨プリズンの中で、たった一人始めたのです。その柔軟性と、視野の広さ。ただただ、脱帽です。

飯田さんは僕の名刺をルーペまで出して見て下さり、そして「鏡明塾」というキーワードから、僕の思想を瞬時に読み取って下さいました。これは僕にとって、とても大きく、有り難いことでした。

写真:笠原正嗣

イベントの時に、どんな質問でも全て親身に聞いてくださる飯田さんの姿勢は、人として一番必要なことは何かを、教えてくれているように見えました。僕が小学生60人から託されてきた飯田さんへの質問も、「これは僕の代わりに、君が答えてあげなさい」と仰りながら全ての質問に目を通し、コメントを下さいました。

江戸時代「教養」があるというのは「人の気持ちを分かる」ことでした。それは株式会社スタディオアフタモードの社訓の中にも掲げています。飯田さんの経験を伝えたい。それはもちろんのこと。僕はそれ以上に、飯田さんの生き方というものを、伝えていきたいと思います。

(2010年9月 旧E-PRESS掲載)

矢萩邦彦(Kunihiko YAHAGI)

教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(命名は松岡正剛)。予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で江戸的私塾『鏡明塾』を展開、分野にとらわれない現代版陽明学を実践している。学校機関でも特別講師として平和学・社会学・教育学など講演。また教育コンサルタントとして学生や保護者へのアドバイスに留まらず、講師研修・企業研修等も手がけている。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードではジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。

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