元日本兵・松浦俊郎さんを訪ねて

2014/03/01安田菜津紀

“第二次世界大戦”と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか? 

きっと人それぞれの答えがあり、そして世代によっても異なる価値観があるのだと思います。私の場合、昨年までそれは教科書の中の文字でしかなく、どこか遠いお話でした。けれども実際にこの戦争を体験している方にとっては、この言葉から様々な記憶が蘇ってくるのではないでしょうか。この世代間の価値観の違い。

もしかしたら世代を越えて経験を共有できていないのでは?そう感じるようになったのは、ニューギニア戦線に派兵されていた元BC級戦犯の飯田進さんと出会ってからでした。飯田さんとお話をしていくうちに、それは「あなた」の戦争になり、そして「わたし」にとっての戦争となっていったのです。

「あの戦争は一体なんだったのか?」飯田さんがよく口にされていた言葉を反芻するように、戦後65年となった2010年、私は必死に戦争の跡をたどりました。

中でも最も衝撃を受けたのが、フィリピンで目の当たりにした戦争の傷跡でした。日本兵のゲリラ掃討作戦の対象となり、一夜にして焼け野原になったマパニケ村。村の人々の中には今なお、恐怖や悲しみが忘れられることなく残っていました。「私たちの正義は傷つけられたままです」。生き延びた村の人々は口々にそう語ります。

フィリピンでの戦争を追っていく中で、一人の元日本兵の方とお会いすることができました。松浦俊郎さん、88歳。学徒出陣を受け、大学を繰り上げて卒業した後、陸軍予備士官学校へと進学。けれども南方戦線が厳しい状況となってきたことから、在学中にフィリピンに派兵されることになったそうです。

松浦さんがフィリピンに入った頃はまだ、日本軍とアメリカ軍が空中戦を展開していた頃でした。けれどもある日を境に、それがぴたりと止みます。日本軍の戦闘機が全滅したのです。

やがて5~6万にものぼる米兵がリンガエン湾沿岸(マニラから北西に進んだ海沿い)に上陸、急遽北上を命じられます。車などはなく、毎日20~30キロの距離を徒歩で進んでいきました。その間、半分はマラリアを患って亡くなり、松浦さんの知る限りでも20名が銃で自殺を図ったと言います。

「”バターン死の行進”のことはよく知られていますが、私たちの行軍もそれと同じくらい過酷なものでした。意味のある死に方をした人間はほとんどいませんでした」。

大腸炎に苦しみながらゲリラに怯える過酷な状況の中、ある日上空から蒔かれたビラで戦争終結を告げられました。そこに勝敗は記されていなかったものの、敵の策略かと最初は信じられなかったのだと言います。

「連絡手段がないために、私たちが敗戦を知ったのはそれから半月も経ったときでした。私たちは武装解除のため、持っていた手榴弾や刀剣を綺麗に磨いておきました。しかしいざ捕虜になるとき、米軍たちはそれをどんどん投げ捨てていく。私たちにとってはなけなしの武器だったものも、米軍にとっては何でもないものだったのです」。

当時残した手記を見せてもらいました。紙も鉛筆も不足していたため、薄いノートの切れ端には、米粒よりも小さな文字がびっしり書かれ、それらのほとんどが食べ物の名前でした。食料が不足し、とにかく食べ物を欲している最中、各地から集まった兵隊同士が自分の故郷の特産品の話をして空腹を紛らわせたときの記録なのだそうです。

当時、フィリピンの人々の日本人に対する憎悪は激しいものでした。道を歩けば石を投げられ、「パタイ!(死ね)」という罵声を浴びせられることはしょっちゅうでした。そのことについて触れると、松浦さんは言葉を詰まらせながら語ってくれました。

「生きるために、略奪をしてきました。フィリピンの人たちには、かわいそうなことを思っています」。

マパニケ村のロラ(おばあさん)の言葉が思い出されます。「もちろん、日本の政府に対しては怒りを感じる。けれど日本兵一人一人も犠牲者だと考えられるようになった」。一人一人を責めることができない戦争。けれども同じことを繰り返さないために、省みなければならない傷跡。未来へバトンを渡すために、わたしたちが受け止めていかなければならない声があるのではないでしょうか。

(2010年11月 旧E-PRESS掲載)

安田菜津紀(Natsuki YASUDA)

1987年神奈川県生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。上智大学卒。

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