人間遍路2:未来の種を蒔く

2014/03/09佐藤慧

1960年代初頭、アフリカ南部の小国が雄叫びをあげた。長くイギリスの植民地化に置かれていたザンビアが、その鎖を断ち切るべく立ちあがったのだ。多くの血を流しながらも、64年に独立、南部アフリカ地域でいち早く、主権国家としての誇りを回復した。そんな劇的な時代を生き抜いた志士のひとりに、ザンビア初代副大統領、サイモン・カプウェプウェがいる。

博物館に飾られていたサイモンの写真。

初代大統領のカウンダとはチンサリという小さな集落で共に育った。誰よりもザンビアを愛する心を持ち、決して曲がったことを許さない厳格な彼は、人々からPhilosopher(哲学者)サイモンと呼ばれていた。

独立の際に掲げられた国旗には、深い意味が込められていた。その緑はザンビアの豊富な自然を表し、赤は自由を勝ち取るために流れた人々の血を、黒は黒人の誇りを持ったザンビア人、オレンジは地下に眠る膨大な鉱物資源を表している。その上に描かれた鷹のシンボルは、どのような困難があろうとも、それを乗り越えて行ける翼があることを示している。

そこに描かれたように、ザンビアには豊富な鉱物資源、銅が眠っていた。独立後の経済成長を支える資源はその鈍く光る鉱物だった。日本の硬貨にも、ザンビアから産出された銅が含まれている。国の安定も、経済的成長も、前途有望に思えた時代だった。

しかし、深い見識と直感を持っていたサイモンは、鉱物資源に頼る経済成長に違和感を覚えていた。果たして、ザンビアはこのままでいいのだろうか。いつ尽きるとも知れぬ資源に頼っていては、ザンビアに恒久的な安定した社会は訪れないのではないか。

彼の危惧は、周囲の人間からしたら理解し難いものだった。「資源はいずれ尽きるものだ。水を見てみるがいい。今でこそ自由に水が手に入るが、いずれそれは売り買いされることだろう。限られた資源を巡り、争うことになる」。そんなサイモンの言葉は嘲笑の的となった。皮肉にも現在のザンビアでは、どんなに田舎であろうとも、ペットボトルに入った水が売買されている。

次第に独裁色を強めていく大統領と袂を分かち、サイモンは自ら政党を立ち上げた。ザンビアの未来のために、彼は出来る限りのことをしようと思っていた。しかし、複数政党を認めない政権は、彼の党に活動禁止を言い渡した。こうしてサイモンは政治活動から離れざるを得なくなり、故郷のチンサリへと隠居した。

サイモンの書斎には世界中の文献が溢れていた。

続々と周囲の国が独立し、銅のマーケットにおけるザンビアの優位性も揺らぎ始めた。失速する経済。

そんな政権を横目に、サイモンは故郷の山で、森を育てていた。外国から仕入れたリンゴを育て、木々の苗を植え、小川を愛した。枯渇する資源に頼るのではなく、自然とともに共存する道を、彼は望んだ。生涯自然を愛した彼は、没後、チンサリを一望出来る丘の頂きに埋められた。皮肉にも、その山の周囲の森林は、グローバル経済に呑み込まれた影響で、急激に姿を消していった。

現在、壊滅的なほどに森の消えゆくチンサリで、ひとりの女性がその破壊を止めようと活動を続けている。それはサイモンの娘、チルフィア・カプウェプウェだった。父の意思を継ぎ、自然との共存を目指す彼女は言う。

「私たちは、この豊かな自然を次の世代のためにのこしていかなければいけません。森は、共に生きていけば無くならないのです」。

齢60を数える彼女は、20年、30年後の未来を見越し、子供たちと一緒に苗を植えていた。その瞳の奥には、自然を愛して止まなかった故サイモンの魂が、滾々と生き続けているようだった。

サイモンの志を継いで自然との共存を目指すチルフィア。

(2011年1月 旧E-PRESS掲載)

佐藤慧(Kei SATO)

1982年岩手県生まれ。国際開発の分野に関わり、アメリカ、アフリカ、中米などで経験を積む。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、命の尊厳や愛を伝える手段としてのジャーナリズムや芸術活動に希望を託し活動を開始。言葉を探しつつ、風に吹かれ、根無し草のように自由に世界を漂いながら国家、人種、宗教といったあらゆる境界線を超えて、人と人との心の繋がりを探求し、それを伝えていく。

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