震災報道と『明日、ママがいない』に見るメディアが配慮すべき共通点

2014/03/11矢萩邦彦

震災3年を前に、日本子ども家庭総合研究所と東日本大震災中央子ども支援センターが報道機関に対して「東日本大震災の報道に係るご配慮について」という要請を行いました。またドラマ『明日、ママがいない』を巡る騒動も記憶に新しいところです。両問題を元にマスメディアの在り方について考えてみたいと思います。

震災報道の注意点

日本子ども家庭総合研究所と東日本大震災中央子ども支援センターの要請は2点ありました。1つ目は、特に子どもがテレビを見る機会の多い時間帯に、津波など震災の被害映像を繰り返し放映しない工夫をすること。2つ目は、被災地の子どもへの取材の際には、子どものこころを再度傷つけることのないように配慮して欲しいというものです。

子どもに限った話ではないですが、何かが切っ掛けとなって記憶がよみがえってしまったり、自分でも思いがけず傷ついてしまうことがあります。自らが望んだ行動の結果なら仕方がないことですが、無配慮な外圧によって傷つけてしまうことはできる限り避けようとするのがメディアの良心ではないでしょうか。かといって全く報道しないのではなく、繊細に意識しつつ、震災の教訓が風化しないように伝えていく姿勢を保つことがメディアの意義ではないかと考えます。

明日ママ騒動の問題点

赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院が「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」と番組を批判、放送中止を求めましたが、ドラマを制作した日本テレビは、あくまでドラマのテーマは「愛情とは何か」であって、最終話まで見てもらえれば分かる、と返答しました。

制作サイドが主張するとおり、ドラマというのは、連続ものです。しかし、だからこそバラバラに見られる状態で放送されているわけですから、断片だけに触れた人が誤解をするような表現は極力避けるべくではないでしょうか。もちろん映画だって、途中で席を立つ人もいるでしょうが、ドラマを断片的に見る人の方が圧倒的に多いでしょう。また、特に子どもの場合内容を深く理解しようとしているとは限らず、繰り返されるシーンや印象的なシーンを真似したりという表層的な受け取り方をしやすい傾向があります。

“マス”メディアということ

どちらの問題も「見たくなければ見なければ良い」という反論がありますが、地上波のテレビ放送は、書籍やインターネットのように能動的に情報を選ぶ幅が少ないメディアです。また、家族が見ていたり、見ていたテレビの前後の番組だったりすれば、自然と目に入ってしまうものです。そういう想定を怠ることはマスメディアとしては問題があるように思います。

「メディア」と一言で言っても、多種多様です。「情報を媒介するもの」という捉え方をすれば、私たちの周りにはメディアでないものの方が少ないかも知れません。私たち自身ですら、情報を運ぶメディアでもあります。ですから乱暴に抽象化をするわけにはいきませんが、いわゆるマスメディアに限らず、子どもを中心に誰でも簡単にアクセスでき、能動的な選択をする必要が少ないメディアにおいては、断片だけに触れても誤解を生じないように最大限の注意努力が必要ではないでしょうか。

(2014年3月 Yahoo!個人掲載)

矢萩邦彦(Kunihiko YAHAGI)

教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(命名は松岡正剛)。予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で江戸的私塾『鏡明塾』を展開、分野にとらわれない現代版陽明学を実践している。学校機関でも特別講師として平和学・社会学・教育学など講演。また教育コンサルタントとして学生や保護者へのアドバイスに留まらず、講師研修・企業研修等も手がけている。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードではジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。

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