「災害は比べるものではない」高校生・東北スタディツアー参加報告 藤橋亜衣子

2014/10/17藤橋亜衣子(新潟県)

私は、小学校1年生の時に中越地震を経験しました。余震が続く中、何が起こっているのか分からずに過ごした日々を私は今も忘れることができません。そんな時、たくさんの人から支援物資や義援金を頂きました。今になって助けられていたんだと改めて感じています。

その後、東日本大震災が起きたとき、今度は私たちが被災地の方のために何かしたいと思いましたが、募金をすることくらいしかできませんでした。そして、震災から3年半が経った今も、私は現在の被災地の状況をよく知ることすらできていませんでした。

高校に入学した私は写真部の活動を通して、その人の「今」を切り取ることのできる写真の素晴らしさを知りました。今回の東北スタディツアーの募集の知らせを聞いたのは、そんな時でした。今、東北に行けば、現地の状況を知り、自分の心で感じたことを写真に切り取ることでいろんな人に伝えていけると思い、応募することを決めました。しかし、その反面で、私が経験した中越地震と東日本大震災を同じように考えていいのかとも思っていました。

ツアー初日。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと、オリンパスの大関さん、菅野さん。そして、この日初めて出会った高校生10人と仙台駅に向かいました。仙台駅からは、バスで岩手県陸前高田市へ。私の被災地のイメージは、まだ3年前の瓦礫に埋もれた街並みでした。しかし、実際に見えてきたのは瓦礫が撤去され、元々市街地だった場所に生い茂る雑草と、かさ上げ工事のために積まれた土が広がる光景でした。やはり、テレビの画面越しでは伝わらないことがたくさんある、私は何も知らなかった、知ろうとしていなかったんだと思いました。

最初に降り立ったのは防災庁舎(宮城県南三陸町)の前でした。鉄骨だけになったそれはあまりにも痛々しく、すぐにはカメラを構えて写真を撮ることができませんでした。テレビで何度も見た場所でも、実際に見るととても胸に迫るものがありました。

次に、米崎小学校の仮設住宅へお邪魔し、かき氷を振舞いながら地域の方々と触れ合いました。私は、地域の皆さんがいきなり違う土地から来た私たちを受け入れてくれることに驚きました。子どもたちもおばあちゃんたちも、笑顔で会話してくださいました。

その後、自治会長の佐藤一男さんの話を伺いました。一男さんが最初におっしゃった「被災地に暗いイメージを持たないでほしい」という言葉を聞いて、はっとしました。私たちが知り、伝えていかなければいけないのは決して生々しい震災の爪痕だけでなく、前を向いて歩いている人々の温かさや強さだと思いました。

「いざという時、信じるのは自分」
「もうこれ以上、私たちに後悔させないでほしい」 

被災したからこその想いや教訓が、一男さんのまっすぐな目や話すトーンから痛いほどに伝わってきました。そして、自分たちの経験を生かし、同じような出来事が起きないようにと、これからの時代を生きる私たちの事を考えてくれていると分かりました。

2日目。語り部をしている釘子明さんの話を伺いながら、街を見学しました。釘子さんは、震災時に避難所の運営をしていたことから、当時の様子を詳しく話してくださいました。地区分けをして同じ地域の人が近くにいられるようにしたこと、小さい子どものための幼児室を作ったこと。そんな中、中学生が小さい子の面倒を見たり、服が濡れてしまった人へ体操着を貸してくれたりと、子どもたちから教えられることがたくさんあったそうです。その話を聞いて、もし自分がその場にいたら同じように行動できていただろうかと思いました。釘子さんには、苦しい時こそ助け合いの精神だということを改めて教えて頂きました。

次に話を伺ったのは、桜ライン311の岡本翔馬さんでした。このプロジェクトを始めて一番の喜びは、外部から来たボランティアの人とこの地域に住む人の出会いをつくることができたことだと岡本さんはおっしゃっていました。また、桜を植えるというこのプロジェクトは、今の自分たちにとっては追悼の意味かもしれないが、後世には明るいイメージになって、桜を見にたくさんの人に訪れてほしいともおっしゃっていました。

そして、最後に岡本さんのおっしゃった「災害の規模は違っても、遺族の悲しみは変わらない」という言葉に、自分の中で抱えていた疑問の答えが見つかりました。災害は比べるものではない。私が経験した中越地震と東日本大震災で考えても、規模や犠牲者数は違うが、失われた命の尊さや人々の記憶は全く同じである、そう思いました。
 
午後から私たちは港に向かい、漁師の佐々木学さんに話を伺いました。漁船に乗り、牡蠣の養殖も見学させて頂きました。漁船に乗るのは初めてでしたが、潮風がとても気持ちよく、海は透きとおっていて、本当にこの海が街を飲み込んだのかと思いました。

佐々木さんは、震災後初めて海に出るとき、恐怖もあったがそれ以上にまたここに戻ってこられたという喜びの方が大きかった、とおっしゃいました。震災の影響で遅れはあるが、三陸ブランドの強化をすることで情報発信し、復興に繋げるともおっしゃっていました。辛い思いをして、それでもなお海へ出る漁師さんの強さを知りました。

3日目。最終日ということで、前日の夜みんなで話し合って決めた箇所をまわってみることになりました。

まず最初に向かったのは気仙中学校です。押し寄せてきた津波で窓は破られ、校舎の中には流れてきた瓦礫が残されていました。もし、自分が通っている学校だったら…そう考えると、以前ここで過ごしていた人達の声が聞こえてくるような気がして、いたたまれなくなりました。ふと、空を見上げると、かさ上げ工事のためにつくられたベルトコンベアー(通称:希望の架け橋)がありました。それはベイブリッジのように街中に張り巡らされていました。 

次に向かったのは、脇野沢港です。元々電車が走っていた線路には、雑草に埋もれたレールがありました。そこには洗剤のスプーンなど、生活感のあるものがたくさん落ちていて、全部流されてきたのかと考えさせられました。

その後、米崎小学校仮設住宅に再度お邪魔し、挨拶とお礼に行きました。話をしてくれたおばあちゃんたちからの「また来てね。」という言葉。一男さんからの「今回ここに来て話を聞いたことは君たちの財産。話を聞いた以上は被災しないでほしい。」という言葉。ずっと耳に残っています。

今回、話を聞いた皆さんがおっしゃっていたことで、共通する点がいくつかあります。

まず、人との繋がりが大切かつ必要であること。それは、家族であり、地域の方であり、ボランティアの方であり、様々です。人は一人で生きていけないからこそ、協力することが必要になります。

次に、私たちは災害や防災の知識をつけなければいけないということ。その避難所は本当に安全か、食糧の備蓄はあるのかなど普段から関心をもって、知識をつける努力をしなくてはなりません。その知識で、自分自身の、あるいは家族の命を守っていくことが大切です。

そして、この二つの事を伝えていくということ。今回の教訓を東北だけのものと他人事にせず、同じことを繰り返さないために広く伝えていく必要があります。震災があったという事実、その悲しみから立ち上がり、復興に向かって歩いている人がいる現状を多くの人に伝え、風化させないことが、亡くなった方への一番の供養にもなると感じました。

私たちがこの3日間で、体験し感じてきたことは、今の被災地のほんの一部にしか過ぎません。しかし、私たちはこれから先、今回学び感じたことを広く伝えていく必要があります。最初は、家族や友達といった小さな輪かもしれませんが、伝えていくことで小さな輪から大きな輪へ広げていきたいと思います。そして東北で見てきた事全てを、自分の住む街に置き換えて考えていきたいです。

安田さんのお話からもたくさん学ばせて頂きました。震災当時、自分が写真を撮ることで何になるのかと感じ、なかなかシャッターを切れなかったと安田さんはおっしゃっていました。一方で、震災直後ほど写真を残しておいてほしかったと言われたともおっしゃっていました。誰もが目を背けたくなるような現実でも、被害の状況を残すことがいかに大事か考えさせられました。被災された人の立場になって、気持ちに寄り添うことの大切さも分かりました。

安田さんはこれからの社会を担う高校生の私たちに、たくさんの人と出会い、知らない土地を心や体で感じ、記録することで、広く伝えていってほしいという願いを込めてこのツアーを企画したのだと思いました。

また、今回スタディツアーで出会った仲間は自分の心と向き合い、どうしたらこの状況が周りに伝わるだろう、自分には何ができるのか、そう考えるまっすぐな人ばかりでした。
そんな10人と3日間を過ごし、共に学び考え、意見を交換することで、相手の考えを理解しようとする内容の濃い時間を持つことができました。

たくさんの人と出会い、学び、考え、成長することができたこの3日間のツアーは私の宝物です。あの時、応募することに決めてよかったと思うし、参加することができて本当によかったです。今後もこの出会いを大切に、繋がりを絶やさないようにしていきたいと思います。

安田さん、大関さん、菅野さん、10人の仲間、東北の方々、このツアーに関わった皆さん、すべての出会いに大きな感謝を。本当にありがとうございました。

写真展「高校生が見た陸前高田」の情報はこちら

高校生東北レポート2014

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