「毎日の生活や、家族との時間を大切にしていこう」高校生・東北スタディツアー参加報告 菊池桃歌

2014/10/17菊池桃歌(埼玉県)

私が初めて行った東北で、一番最初に訪れた場所は「防災対策庁舎」(宮城県南三陸町)の被災跡。今回参加した埼玉栄の生徒は写真部ということもあり、バスから降りた瞬間から、埼玉と同様、気になったその建物にシャッターを切りました。ですが、周りを見ると、シャッターを切っている人はいません。そして、大人達がお花やお地蔵さんがたくさん置かれた場所に手を合わせ始めると、すべてを理解して、自分が恥ずかしくてたまりませんでした。その建物で人が亡くなったとゆう事。私がこの建物を写すことの重さを感じました。そして、この被災地でシャッターを切ることは、1枚1枚想いを込めて写すこと、目の前に広がるものの1つ1つの意味をよく考える事が大切だなと感じました。

仮設住宅にて

写真を撮ることがちょっと恐くなっていた私。この仮設住宅では、かき氷屋さんをやっているうちに住民がたくさん集まってきて、おばあちゃんにお話を聞いたり、子供達とじゃれたりして他の参加した高校生達は写真を撮っていたけど、ちょっと人見知りな私はなにもできなくて、ずっとかき氷を作る事に逃げてました。そんな時、安田さんにいっておいでって言われて“どうしよう”ってフラフラしている時、1人の女の子が小学校のグランドのすみっこで泥団子を作っていました。何か少し寂しそうで、思わず 一緒にお団子作っていい? って言ってました。写真は嫌いみたい。でもこのお団子ならいいよって言って撮らせてくれました。そのお団子は、この子のまっすぐでまんまるな“め”と、素直なまあるい“こころ”のカタチでした。

釘子さん

釘子さんのお話を聞いて、避難所での食事の分離も、体育館内の地区分けも、ナゼするんだろうと疑問だった私は、様々な起こりうる問題を瞬時に想定して解決した、釘子さん達の冷静さに驚きました。水が足りないなら、トイレの水をストップして、コップに水を分けて定期的に均等に配る。何度も食料が尽きかけたけど、避難者達の不安を防ぐために、食料庫を見えないように常時おおった。もしもじぶんが被災して、家が無くなってしまって、親も姉もいなくなったら、人の事を誘導したりなんてできないと思います。釘子さん自身、被災して辛い状況なのに、“それでも自分が動かなきゃ”と思って行動できる事が素晴らしいなと感じました。

桜ライン311

そのラインの存在は華やかで、作るための苦労も無かったと私は勝手に思い込んでいました。しかし、その桜ラインは、津波が来たら最低ここまでは逃げろという、後世へのメッセージであること。それに、プロジェクトに関わる人達の努力と行動力で長く連なっている桜なんだなという事を学びました。桜ラインが道に沿って植えられるのではなく、津波到達点に沿って植えられるからこそ発生する土地の問題や、植えた後の管理の問題は桜ラインプロジェクトを簡単に考えていた私にとって衝撃でした。それらを思うと、春に優しく咲く桜が見たくなりました。きっと、私が大人になった頃、立派な桜が優しいラインを作りあげていると思います。そして、桜ラインプロジェクトの植木のお手伝いを、私ももう一度この地に訪れて、参加したいです。

雪解け牡蛎

人をのみ込み、多くの命を奪った海。そんな海に、ここが俺の居場所だと、船を出す漁師さんはかっこよく見えました。食べさせてもらった雪解け牡蛎は、東京の牡蛎の2倍の大きさ。すっごく美味しかった!ちょこっとだけど、漁師さんが、ナゼ海に戻ったのか、わかった気がしました。もし自分がこんなに美味しい牡蛎が作れたなら、陸前高田の人に食べてもらって、元気をだしてほしいし、2年で作りあげる牡蛎、“雪解け牡蛎”が全国で有名になって、それがきっかけで陸前高田へ観光に来てくれる人が増えたら、徐々に街に活気が戻り、復興が早まる事を信じ、海へ出るかもしれません。でも、決して簡単な決断をしたわけではない漁師さん達が捕ってきてくれる、美味しい海の幸を多くの人に食べてほしいと思います。私もまた食べたいです。

私は、東北スタディーツアーに参加して、本当に多くの事を学びました。私がこうして普通の生活を取り戻そうとしている子供達や大人達がいることに気づかされました。改めて、この毎日の生活や、家族との時間を大切にしていこうと思いました。大きな壁にぶつかった時、陸前高田の人達の頑張りを思い出して生きていこうと思います。

写真展「高校生が見た陸前高田」の情報はこちら

高校生東北レポート2014

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