「”伝える”という使命をできる限り果たしたい」高校生・東北スタディツアー参加報告 中野萌

2014/10/17中野萌(広島県)

私は広島県に住んでいます。だから、震災の被害を受けていません。震災が起こるまでは、東北について何も知らなかったし、行く機会もなかったと思います。

それでも、伝えたいと思うのは、理由があります。私は、震災以降自分ができることを見つけられないままでした。周りの友達に話しても、関心は低く何もできないまま、ただ時間が過ぎていくばかりでした。しかし、高校生になって環境が変わり、震災のことに興味を持つ友達に多く出会いました。そこで私は、(今自分自身が直接現地に赴けば、きっと伝えられることがある)と思いこのツアーに応募しました。

一日目

仙台駅からバスで陸前高田市へ向かいました。車内で自己紹介をした際、他のメンバーの震災に対する意識が強く、自らさまざまなプロジェクトを行っていることにとても驚きました。メンバー同士でも、何かを得られるだろうと期待して、わくわくする反面、この中で自分の知識が通用するのか、という不安もありました。

途中、南三陸町の防災対策庁舎に行きました。テレビだけでしか見たことがなかった、鉄筋だけの建物を前に、なかなかシャッターをきることができませんでした。それから、ゆっくりと手を合わせました。

陸前高田について一番に目にしたのは、沿岸部に沿って建てられた大きな架け橋でした。始めは、車が通る橋だと思っていました。よく見てみると、その橋は町中に迷路のように張り巡らされていて、その橋が行き着く先は砂の山でした。そう、それはかさ上げに必要な土を運ぶためのベルトコンベアだったのです。その時は、近未来の光景を見ているようでした。しかし、ここは数年前まで誰もが行きかう普通の街だったのだと思うと、胸が苦しくなりました。

そこから、内陸部に向かっていくと見えてくるのが米崎小学校です。小学校に到着すると、まず出迎えて下さったのが、佐藤さんです。陸前高田に入って、初めて工事関係者以外の方に会ったので、佐藤さんの笑顔を見ると、なぜかホッとしました。

正門をくぐると、校舎の目の前に並ぶ仮設住宅が見えてきました。私たちは、住民の方や小学校から帰ってきた児童のみんなと一緒に、かき氷を食べお話をしました。その後集会所で佐藤さんから震災についてお話を伺いました。「人々のつながりが強い街だということ。」「防災の意識がとても高いこと。」何より心の中に残っているのは、「見に来る。知りに来る。と思うのでなく、自分の街だと想定してほしい。この町を訪れたからには、被災しないでほしい」という言葉です。私は、この言葉を聞いてから、陸前高田を見る目が変わったと思います。また、学んだ防災の知識を自分の街でも生かしたいと思いました。

一日目のスケジュールを終え、ホテルに戻りみんなで夕食を食べました。人生初のマンボウやお刺身など、大好きな海鮮尽くしでした。こんなにも美味しいものがある海が、時に津波となるのだと思うと海の大きさを感じました。

二日目

まず、語り部をしているくぎこ屋さんに話を聞かせていただきました。3.11以前の陸前高田の話をする様子からは、本当に地元が好きなのだと思いました。今は土と草だけになってしまった旧市街地をバスで走りながら、その場所にあった建物や震災当時のことを聞きました。時折、必死に訴えかける目や表情、声のトーンからは、これから私達が伝承していくことへの責任を感じました。震災当時の出来事だけでなく、この町にかつてあったにぎわいもすべて、ありのままに伝えたいと思いました。

次に、NPO法人桜ライン311の代表理事をしている、岡本さんに話を伺いました。桜ラインとは津波の到着地点に沿って桜の木を植えることで、震災のことを忘れないための活動だそうです。万が一の時には、高台へ逃げる目印になり、人の手による世話が必要な植物を選ぶことで、より忘れられないようになるそうです。15年から20年を目安に、1万7千本の桜を植えたいと聞いた時には、その目標の大きさに驚きましたが、私がもう少し大人になったら、植樹の手伝いをしたいと思いました。

そして、未来商店街に行きお昼ご飯タイムです。外装も内装もこっていて、陸前高田で一番彩りある場所だと思いました。そんなお店で、美味しいご飯を前にメンバーとの会話も弾みました。

午後からは、脇ノ沢漁港へ行き佐々木さんに船から陸前高田の街を案内してもらったり、牡蠣のいかだを見せていただいたりしました。養殖中の牡蠣を開け、「ドヤっ」と言わんばかりに見せて下さった時の表情からは、海への思いが伝わってくるような気がしました。港に戻ると、佐々木さんから、牡蠣のプレゼントをいただきました。身がぷりっぷりで、本当においしかったです。

大地震が起き、津波によって町がのみ込まれ、高台移転によって、元の姿が消えてしまうこの町で、人々はなぜ海に戻り、ここで暮らし続けるのかが大きな疑問でした。しかし、二日間の交流をおえて、この町には、何事にも代えがたい人々のつながりと、海への愛があるのだと思いました。

三日目

最終日は、みんなで行きたいところを話し合って場所を決めました。その結果、1日目に撮影した写真を米崎小学校の仮設住宅へ届けに行き、気仙沼中学校、市営住宅、浜辺、線路沿い、展望台など様々な場所に行くことができました。取り残した写真が無いよう、カメラを構えていると線路の横に洗剤用のスプーンが落ちていました。よく目を凝らすと、その周りを、アリやカタツムリが歩いていて、小さな息吹を感じました。

陸前高田を出発する時、私たちを温かく迎えて下さった方々や子供たちの笑顔が浮かんできて、とてもさみしくなりました。そしてその時、この3日間の出来事を「記憶」として、「文章」にして、「写真」として、残し続けようと決めました。

最後に

私はこの3日間のなかで特に印象深かった言葉があります。それは、安田さんが最初言われた、「シャッターをきっても、誰の傷は治らないし、誰のお腹も満たされない。」という言葉です。私は、この言葉を聞いたときに、それでもシャッターをきり続けているわけがきっとあるだろうと思いました。私も同様に、このツアーに参加したことで、大きな貢献につながるとは思っていません。しかし、今こうして与えられた、「伝える」という使命をできる限り果たしたいと思っています。そして、同じことを繰り返さないことが、今の私たちにできる最大限のことだと感じました。

オリンパスの方々をはじめとして、安田さん、佐藤さん、釘子さん、岡本さん、佐々木さん・・・私たちを迎えて下さった多くの皆さん、本当にありがとうございました。被災された時の話をする表情が、今でも浮かんできます。ツアーを終えた私は、伝承という新しいスタートに立っています。現地で、言葉にできなかった気持ちを、すこしずつ、じっくりと、伝えていきたいと思っています。

写真展「高校生が見た陸前高田」の情報はこちら

高校生東北レポート2014

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