「自分自身が後悔しないために、震災に備えなくてはいけない」高校生・東北スタディツアー参加報告 井上桃花

2015/11/27井上桃花(神奈川県)

はじめに

この夏、私達は貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。その中で、みなさんは口を揃えて言いました。「話を聞いたからには被災しないでほしい、東日本大震災を未来に活かしてほしい」。そして、「知っているのに備えなかったら、必ず後悔する」と、強く教わりました。先人の知識を無駄にしないために、何よりも、自分自身が後悔しないために、震災に備えなくてはいけないと感じました。

1日目

最初にバスから降りた場所は、南三陸の防災対策庁舎です。この場所には、約15mの津波が来ました。二階建ての屋上は12m程の高さで、更にそこから伸びたアンテナに掴まった数人のみが助かったといいます。

安田さんは、すぐ傍のテントからお線香と献花を取ってきました。その間ずっと、私達は初めて目の当たりにした津波の凄まじさに言葉を失っていました。これにカメラを向けていいのか。きっと、全員がそう感じてしまいました。けれど、この気持ちを伝えるために写真に残すのだ、そうけじめをつけて、シャッターを切りました。

私達が写真を撮り終えると、すぐに女性が駆け寄り、中央に置かれた仏さまの前で手を合わせていました。こんなに神経をすり減らして写真を撮ったのははじめてでした。

次に、米崎小学校の仮設住宅にお邪魔しました。そこで、仮設住宅自治会長であり、防災士の佐藤さんに、たくさんの知識を教えていただきました。印象に残っているお話がいくつもあります。例えば、必要なものがあれば、流された中からでも探し出して使う必要があるということ。また、持ち出し袋は、用意しておけばそのとき持ち出せなかったとしても、後で家に戻れたとき、流された先できっと役に立つということ。普段の生活とは違う、ありあわせのものを使って暮らすには、常識や経験、正しい知識が必要なのだと思い知りました。

その後に、住民の方々とお喋りをする自由時間がありました。この仮設住宅では、どこのお家にも必ず植木鉢が置いてあります。向日葵が植わっている鉢もあれば、トマトやピーマンを育てているお家もありました。これは、住民の方々のコミュニケーションを円滑にするために、佐藤さん達が考えた共通の話題でした。なるほど、確かに住民の方々は、子供から大人まで打ち解け合っていて、まるで家族のようでした。一家にひとつの植木鉢は、景色を彩り、人に植物を育てる喜びを与えるだけでなく、助け合い、触れ合いの糧になったのです。

つらい時でも、生き物や、人と接することで心は救われるのかもしれません。

植木鉢を見て回っていると、あるお家からさっきまで話していたお婆さんが出てきました。軽く会釈をすると、お婆さんは私に手招きをしました。駆け寄ると、手に何かを握らせてくれました。ビーズでできた、手作りのトンボのブローチです。はじめて会った私たちのために、家からこれを取ってきてくれたのです。

その時にお婆さんが何気なく教えてくれた、「トンボはまっすぐ飛ぶからね」という言葉に込められた気持ちがどれほどのものなのか、とても計りしれません。同時に、これはお婆さんが私達を歓迎してくれていたという証でした。ツアーで突然岩手に来た自分だけれど、受け入れてもらえていたんだ、そう思うと、お婆さんとこの小さなトンボに救われた気がしました。

2日目

この日は、朝から語り部ガイドの釘子さんにバスガイドをしていただきました。釘子さんは最後に、学校でも部活でもなんでもいいから、今を悔いのないように過ごしてくれとおっしゃいました。何度も言われてきたことですが、釘子さんの声には、不思議な説得力がありました。

そんな釘子さんが、一番の望みだと教えてくれたことがあります。それは、学んだ知識や経験から、次の命が守られること。私はツアーを通して得たものをきちんと持ち帰ろうと、改めて思いました。釘子さんはガイドの際に、「何もない街じゃなかったんです」と語ってくれたけれど、温かく接してくれる人がたくさんいて、後世に伝えるべきことがある、この街には、何もないなんてことはないと、私は思います。

その後、お寺にお邪魔して、津波の実際の映像を観て、住職の芝崎さんにお話を伺いました。中でも印象に残っているのは、「あいさつなど小さなことでも、日頃けじめをつけながら生きている人は、大変なときにも自分を見失うことはない」というお話でした。

また、芝崎さんは以前、お寺に置いてある引き取り手のないお骨をもらえないかと、ある男性に頼まれていたそうです。津波で奥さんが行方不明になってしまったというその男性に、芝崎さんは遺骨の代わりにとお人形を渡しました。すると、「心のけじめがつきました」と言って満足そうに帰っていったそうです。その男性にとって必要だったのは、もう手に入らない奥さんのお骨ではなくて、自分のけじめさえつけばいつでも手に入る、心の落としどころでした。

夜は旅館に戻り、『遺体』という映画を観ました。東日本大震災の時の遺体安置所のお話で、住職の芝崎さんをモデルにした登場人物も描かれています。上映後の、「この映画はとてもリアリティがあるけれど、実際と違うのは泥とかの臭いだ」という言葉が、とても印象的でした。

3日目

この日は、数年前に安田さんのツアーに参加したという望鈴さんが、私達にバスガイドをするために朝から旅館まで来てくださいました。望鈴さんは、私とひとつしか歳が変わりませんでした。印象に残っているのは、「人との出会いで自分が変われた」という言葉と、震災時に活躍した地元の小中学生のお話でした。震災直後、大人がいないときに、地元の中学生が避難を手伝ったことが地域の被害を大幅に抑えたというお話です。高校生だから、関東に住んでいるから、それは行動をしない理由にはならないのだと実感しました。

その後、バスは仮設住宅の商店街へ向かいました。最初はどういうことだろうと思ったけれど、そこはお家のひとつひとつがお店になっている仮設住宅でした。そこで私達はお菓子を頂き、お土産を買いました。お店を手伝いに来ているというお婆さんは、「何事も笑い飛ばしちゃうくらいが一番。笑顔が何よりも大事」と教えてくれました。少し早口で元気にしゃべるお婆さんは、私達といる間ずっと笑っていました。

これから

東北から帰ってきて、以前と変わったと感じることがふたつあります。

それに気付いたのは、普段通りにニュースを見ている時のことでした。なんだか、以前よりも、報道の内容がすんなりと頭に入ってくるようになりました。どんなニュースも、私には縁のない遠くで起きた他人事としてではなく、誰かにとっての身近な出来事として、心を掠めていくのです。

もうひとつは、無駄な時間が減ったことです。朝起きるとき、嫌な課題をするとき、自分から自然とけじめをつけて、物事をこなせるようになりました。やらなきゃと思いつつ怠っていた、震災への備えもはじめました。

私はツアーを通じて、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。その中で得た知識や、人との触れ合い、何より、このふたつの習慣は大きな財産になったと感じています。そして、聞かせてもらった貴重なお話の中には、私でも、共感できる部分がたくさんありました。きっと、人にとって大切なものは、いつでもどこにいても、等しく変わらないのではないかと思います。これからも自分のため、大事な人のために、それを見失わないよう過ごしていきたいです。

高校生東北レポート2015

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