「私は地震について、津波について、避難所について何も知っていなかった」高校生・東北スタディツアー参加報告 時里奈々恵

2015/11/27時里奈々恵(兵庫県)

ボランティア活動をしたい、人の役に立つことをしたいと思ったときに、このスタディーツアーを知りました。写真を撮ることが好きだから、これで一歩を踏み出そうと思ったのです。

8月20日。被災地に入るにつれて、どんどん家の数が少なくなり、そして、工事用のトラックをよく目にするようになりました。安田さんが「今から浸水区域に入っていきます」とおっしゃったときには、クレーン車と、かさ上げされた何もない土地がほとんどを占めていました。いたるところに、『過去の津波浸水区間』と書かれた標識がありました。私はこの言葉をノートに書きとめました。

南三陸町防災庁舎をみて

鉄の骨組みが津波によって波の形をしていました。初めて被災地に立ちました。大地は何も変わらないし、空も変わらない。工事の音しか聞こえませんでした。人の声も聞こえませんでした。普段はうるさいと感じる工事の音が、なぜだか分からないけれど、スーと耳に入ってきました。

海を知らない私にとって、津波が襲ってくる映像は怖いものでした。しかし、初めてこの防災庁舎を見たとき、津波の怖さというより、たくさんの方が亡くなったところに自分が立っている恐ろしさを感じました。

防災庁舎の隣には『なつかしい未来へ』という看板がありました。最初見たとき、不思議な言葉だと思いました。しかしよく考えてみると、震災前にあった風景を未来へつなげたいという想いの詰まった言葉なのだと思いました。

米崎小学校仮設住宅 自治会長 防災士 佐藤一男さんのお話より

私が、佐藤さんのお話で印象に残ったのは、「来ると知っていたのに備えなかったことの後悔は苦しい」という言葉でした。

私の住んでいる兵庫県は阪神淡路大震災で大きな被害がありました。その教訓を生かし、小学校の頃から地震の怖さも教えてもらい、毎年1月17日近くになると、避難訓練をしています。でも、やっぱりどこかで自分は大丈夫、地震なんか来ないと思っていたところがあり、地震が起こったことでどんなことが起こるのか、考えることもしていませんでした。

そして佐藤さんは、「私たちは苦しい思いをした、だからこれを聞いたら、絶対に地震が起きたとしても大震災にはしないで下さい」とおっしゃいました。私は、必ず、吸収して、何らかの形でみんなに伝えていこうと思いました。

仮設住宅でかき氷屋をして

みんな私たち以上に笑顔でした。かき氷を渡したら、「ありがとう」と本当に嬉しそうに言ってくれました。2人の男の子がかき氷を食べていました。兄弟でした。「写真、撮っていい?」と聞くとすぐに弟がカメラぎりぎりまで顔を近づけてきました。それに負けじと、お兄ちゃんも顔を近づけました。子供を撮ることは初めてだったし、人をこんなに近くで撮るのも初めてでした。でも、こんなにも近づいてきてくれて、とても嬉しかった。

おばあちゃん達がお話ししているところに入らせてもらったとき、「とてもきれいなところですね」と私が言うと、少し悲しそうな顔をして、「津波が来なかったらな。今は一本松しかねぇ」とおっしゃいました。震災前のことを知らない自分がこんなこと言っていいのか、言葉が続かなくなりました。そしておばあちゃんは、「私たちが子供の頃は戦争があって、チリ地震があって、この年になってまた大震災も経験した。いいことはなかった」と話して下さいました。

語り部ガイド釘子屋 釘子明さんのお話より

震災前の陸前高田市をみたのは初めてだったかもしれません。たくさんの人が陸前高田の海で海水浴を楽しんでいました。私はスタディーツアーに参加する前から陸前高田の動く七夕祭りに興味がありました。震災の年、誰もが開催することに反対していたようですが、若い人たちの希望で開催されたそうです。亡くなった人が、帰ってくる場所が分かるように派手な装飾をした山車で町内を練り歩く祭りです。開催後、みんなが、「七夕祭りが本当の絆だ」と言っていたと、釘子さんに教えてもらいました。このお祭りをする想いはみんな一緒なのだと思いました。

三陸鉄道震災学習列車で

「あまちゃん」でおなじみ三陸鉄道。震災の被害をうけ、私たちが乗った南リアス線は、2014年4月に盛駅から釜石駅まで全線開通しました。震災時、列車がいたトンネル内で私たちが乗った列車も止まりました。真っ暗な中、お客さん2人と運転士さんは情報も入ってこない中で2時間、寒く不安な時を過ごしたと思うと言葉が出ませんでした。

仙寿院 芝崎住職さんのお話より

この2日間たくさんのことをみて、学んでいたからか、仙寿院で見た津波の映像は、以前テレビで見た津波の映像と変わらなかったはずなのに、怖くて怖くて手を何度も握りしめました。

その後、芝崎住職さんがご遺骨のある前でお地蔵さんのお話をしてくださいました。震災後、1人のおばあさんがかわいそうだからと言って、小さな手作りのお地蔵さんをたくさんもってきて、「ご遺骨の前に飾ってください」と言われました。また、1人のおじいさんは、「ばあちゃん(奥さん)がまだ見あたんねぇから、どの遺骨でもいいからこれがばあちゃんのだって言ってくれ」と言われたそうです。住職さんは「それはできない」と断られていましたが、毎日毎日、通ってきて、三回忌の時もまた、言われたそうです。「どれでもいいからばあちゃんだって言ってくれ」と。そして住職さんはあのおばあさんにもらった『お地蔵さん』をおじいさんに、怒られるかな?と思いながらも渡したそうです。すると、おじいさんは、「あぁ、ばあちゃんこんなにちっちゃくなってぇ」と言って手でそれを包みながら嬉しそうに持ち帰ったそうです。わたしはこれを聞いたとき涙でいっぱいでした。絶対にこのお話、大切にしていこうと思いました。

釜石美鈴さんの案内で大槌町を見学して

高台にある城山公園で、『希望の灯り』についての話を聞きました。阪神淡路大震災で亡くなった方と生きている私たちとをつなぐために作られた希望の灯り。自分の住んでいる兵庫県と大槌町とは関わりがあることを初めて知りました。

そして、吉里吉里地区の海辺に行ったとき、2人の孫を連れたおじいさんに会いました。東北に来て初めて海で遊んでいる子供たちを見ました。とてもきれいな海で「じいちゃーん、こんなにおっきいのとれた!」と言って大きなわかめをが持ってきました。3人とも笑顔で、本当に楽しそうでした。希望という言葉がうかんできました。

この三日間、自分は地震の怖さ、津波の怖さ、避難所のこと、すべてを軽く見ていたのだと思いました。そして、たくさんの想いを聞くことができました。出会った人みんなが言うことは、「私たちはこんな恐ろしい経験をしたから、絶対にあなたたちはこんな経験しないで下さい」というものでした。
たくさんのことを教えていただいたからこそ、人に伝えていかないと意味がないと思います。まずは、もっともっと地震のこと、避難所のことを、知ろうと思います。そして、家族、友達と伝えていき、ボランティア活動などもしていきたい。

最後になりましたが、安田さんをはじめ、たくさんの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。

高校生東北レポート2015

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