「すべての災害は起こってから何かをするのは遅すぎる」高校生・東北スタディツアー参加報告 藤田夏光

2016/11/06藤田夏光(神奈川県)

私は、8月4日から6日の3日間、安田菜津紀さんと行く東北スタディツアーに参加しました。このツアーに応募したきっかけは高校で安田さんの講演を聞いたことでした。

私は高校三年生で、受験生である上に他の人よりも受験が早かったため、初めは応募するかどうか悩みました。しかし、私は東北に行ったこともなく、復興の現状について何も知りませんでした。

私は将来、観光に関わる仕事につき、その中で被災地に観光という面で復興に関わっていきたいと考えています。その為にはまず私自身が復興の現状について知らなくてはならないと思い、応募することを決めました。

8月4日、初日であるこの日は朝東京駅に集合して仙台駅に向かい、そこから南相馬市に向かいました。途中、バスから降りて海岸沿いに行きました。そこの海には人気はありませんでしたが、とても広くてきれいな海でした。この海が多くの人の命を奪ったということにショックが大きかったです。

その後、南相馬市の上野さんのご自宅に伺いました。上野さんは東日本大震災の際の津波でご両親と長女のえりかちゃんと長男のこうたろうくんを亡くした方だと聞きました。私たちは上野さん体験や現在行っている活動についてのお話を伺いました。

地震当日、上野さんは地震直後家に戻りご両親とこうたろうくんに会っていたこと、津波の映像は見ていたが自分の家まで来るなんて想像もしていなかったこと、家族は避難していると思い救助活動を行っていたこと、ご両親とえりかちゃん、こうたろうくんが行方不明になっていたこと、暗くなっても探し続けていたこと、えりかちゃんの亡骸を抱きしめながら安置所に行ったこと、こうたろうくんを抱きしめてあげたいという思い、二人への申し訳なさ、震災後に生まれたさりいちゃんへの思い、ここには書ききれないほど沢山の思いを聞きました。

どのお話も私たちには想像出来ないほど辛いであろうお話なのに、私たちの為にお話して下さったことにまずは感謝しています。私には、震災後に元々住んでいた地に戻ってくる決断をした上野さんを本当にすごいと思いました。私の友人も南相馬市に住んでいて、現在も南相馬市に戻っていると聞きました。

友人は「ここが私の故郷で私の居場所」と言っていたことを思い出しました。もし私の地元で災害が起こっても、私は自分の住んでいた場所に戻りたいと考えると思います。それは、生まれてからずっと住んでいた思い出の土地を離れたくないからです。

上野さんの娘さんのさりいちゃんはとても無邪気で可愛い女の子でした。震災後に生まれたけれど、えりかちゃんとこうたろうくんのことをしっかりと考えていることにとても心を打たれました。後日、友人のSNSに上野さん主催の花火を見に行った投稿が載っていました。友人たちは本当に楽しそうに笑っていて、人の幸せを考えられる上野さんたちが本当にすごい人だと改めて思いました。

上野さんのお話を伺った後、私たちは追分温泉に向かいました。そこでとても豪華で美味しい夕食をとり、お風呂に入った後にミーティングを行いました。

ミーティングでは写真家の清水さんや旅館のご主人、たまたまいらしていた地元の方が震災の体験を話してくださいました。震災前からこの地を訪れていた清水さんの写真を見せていただいたり、お話を聞いてとてもショックを受けました。こんなに綺麗なところを一瞬で全てを流してしまう津波に恐怖心を抱きました。

参加者のその日感じたことも聞きました。それぞれ違う視点から様々なことを感じていて、いろいろな意味でとても勉強になりました。

2日目はまず、受験生にはありがたい釣石神社に行きました。そこの階段に書いてあった津波到達ラインが、私が考えていたものよりも高くとても驚いたのを覚えています。そこで合格祈願のお守りを買って、次の場所に移動しました。

次に訪れたのは津波によって多くの生徒と教員が亡くなった大川小学校です。大川小学校は津波によって至る所が壊され、周りにも何も残っていませんでした。震災当時、私は小学6年生でした。もし生きていれば私たちと同い年くらいの子たちの命が一瞬で失われた場所という事実に写真を撮るのがとても辛かったです。正確なことは何も分からないけれど、周りには山が囲んでいて、もしそこに逃げれば生きていたかもしれないという現実が余計に遺族を苦しめているのではないかと思いました。

大川小学校を訪れた後、私たちは津波をギリギリ免れ、現在も仮設住宅として使われている米崎小学校を訪れ、そこでかき氷を作って仮設住宅の方に振舞いました。子供達はみんな無邪気で元気で、こちらまで元気にしてくれるような子供達ばかりでとても楽しかったです。

その後、防災士の佐藤一男さんのお話を伺いました。佐藤さんは復興や被災地、仮設住宅の現状などを話してくださいました。私が一番印象に残っているのは「元に戻すことは復旧であり復興ではない」ということです。私は、街が元に戻ることが復興なんだと思っていました。けれど、街がいくら元に戻っても元の賑わいを取り戻せるとは限らない。その現実を知りました。

私はこのツアーを他の参加者とは違う、「観光」という視点で見て、感じようとしてきました。観光客を呼び込むためにはどうしたらいいのか、観光を推進すれば復興に繋がるのではないかということについて考えました。明確な答えを出すことは出来ないけれど、観光を推進する=観光客が増える=店が増える=街が賑わう=元の賑わいをとりもどすきっかけになると私は考えています。そんなことを考えるきっかけとなる様々な話を聞けて、とても貴重な経験になりました。

その夜のミーティングでは、それぞれが撮った写真から一枚選び発表しました。私は大川小学校で撮った写真を選びました。その写真は生徒が描いたであろう壁画を背景に花と蝶が写っているものです。その写真は壁画の上の方の壊れている場所を隠せば平和な写真です。

津波の恐ろしさを忘れず、その上で復興への期待を込めた写真ではないかと思い、その写真を選びました。他の参加者の写真も色々な思いが込められているものばかりでした。写真は言葉では伝えきれないことを伝えられる素晴らしい手段だと改めて感じました。

最終日は語り部の釘子さんのガイドで陸前高田の市街地を見学しました。陸前高田には震災当時のままの建物も残っており、改めて津波の威力を感じました。釘子さんに様々なお話を伺いましたが、一番印象に残っているのは「自分の避難場所」についてです。

あなたは避難場所に行ったことがあるか、そこは本当に安全か、どのような備えがあるかと私たちに問いかけました。私は避難場所が出身中学のため、行ったことはもちろんありましたが、そこまで深く考えたことはありませんでした。しかし、東日本大震災の際、安全だと言われていた避難場所で津波に飲み込まれて亡くなった方が多くいたと聞きました。私たちも自分の安全のためにしっかりと考えなくてはならないと思いました。

ツアーの最後には、漁師の佐々木学さんの案内で海上に出て防波堤を見たり、牡蠣の養殖を見学したりしました。沢山の人の命を奪った海にまた戻っていくのにはとても勇気がいることだと思います。それでも戻って新たに養殖を再開したことは本当にすごいことだと思います。今後の復興にも必ず繋がると私は思います。

このツアーの中で、色々な方のお話を聞き、様々な思いを感じて、多くのことを知りました。お話を聞いた中で、みなさんが共通して行っていたことは「教訓にしてほしい」「後悔しないでほしい」「備えてほしい」ということでした。

今日、私たちは地震に慣れてしまって本来あるべき危機感が薄れているように感じます。私の住んでいる神奈川もいつ大地震が起こってもおかしくありません。地震にかかわらず、すべての災害は起こってから何かをするのは遅すぎるのです。最大の被害を想像して、それに全体で備え、想像外を想像内のものに出来れば全然違う結果になると私は考えます。

「今」も大事であるけれど、「未来」に起こることを考えて行動することが自分を守り、自分の大切な人を守ることに繋がると思います。自分が自分を守れなければ、人を守ることは出来ません。東日本大震災で亡くなった方の命や遺族の方の思いを決して無駄にしてはならないと私は思います。今後、そのために私たちに何ができるのか、それを教えてくれた方達に何を返せるのかを考えていきたいです。

高校生東北レポート2016

comments powered by Disqus

Next Quest