「このツアーから生まれた3つの使命」高校生・東北スタディツアー参加報告 佐藤敬人

2016/11/06佐藤敬人(宮城県)

僕は参加する前、震災に対してすごく他人事のように思っていました。

生まれてからずっと宮城県の仙台市在住なのですが、住んでいる家は沿岸とは真逆の山の上のほうにあり震災当時多少の地割れや崖崩れはあったものの、身近な人が怪我をしたりましてや亡くなる人もおらず、「なんだ、全然大丈夫じゃん」と自分の事だけを判断材料にして震災を甘く見ていました。

それから五年がたち、元々写真を撮ることが趣味な僕は今回のスタディツアーを知り、写真を撮りたいという気持ちが強いまま参加させて頂くことになりました。

まずこのプログラムを企画してくださった オリンパスさん、スタディオアフタモードさん、旅行企画・実施してくれたホワイト・ベアーファミリーさん、ありがとうございました。

ツアー1日目

仙台駅に集合後、福島県南相馬市へ出発。最初にバスから降りた場所は、小高区の沿岸です。小高区の津波被害面積は塚原~角部内地区と井田川~浦尻地区2つ合わせて10.5平方キロメートルにもなります。海は静かな波の音と潮風が心地よかったです。こんなにも綺麗で静かな海から9.3mの津波が発生して町をのみこんでいったなんて恐ろしいです。南相馬市全体の津波の被害は40.8平方メートル、市域の約10%になります。

次に向かったのは萱浜に住んでいる上野さんの所です。5年前のあのできごとを思い出すのは辛いはずなのに震災当時の事を話してくれました。上野さんには当時8歳だった娘の永吏可(えりか)ちゃんと3歳だった倖太郎(こうたろう)くん二人の子供がいました。まだ幼かった2人もあの津波にさらわれてしまいました。

「最初の1カ月は誰の手も借りず自分だけで探していた」と聞いて自分にも子供がいたらそうするのかなと考えたりもしました。僕の中では自衛隊は被害が出たらすぐにかけつけると思っていたのですが、実際はくるまでに2週間もかかったそうです。自衛隊がきたら2人は見つかるだろうという思いもむなしく、結果2人は見つかりませんでした。

それからしばらくして永吏可ちゃんの体だけは見つかりました。上野さんから「中には自分の手で探すことができない人もいるから、自分は自分の手で探したからまだ救われたと思う」という気持ちも聞きました。そして、「東北の二万人の命を教訓に」という言葉も。

皆さん一度は避難訓練をした事があると思うのですが、いつも決まった場所からだったと思います。果たしてそんな訓練に意味があるのか。災害はいつどこで起こるか分かりません。昨日地震があったからといって今日地震がこないとは限りません。近所の避難場所や防災グッズの確認など早いことには越したことはないのです。「東北の二万人の命を教訓に」するためにもこれを読んでいる皆さんのためにも防災は必要だと強く感じました。

ツアー2日目

朝食をすませた後、大川小学校を見学に行きました。大川小学校は東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明と被害の大きかった学校です。初めて目の当たりにするその光景が新鮮で、バスを降りてもカメラを向けずただ景色を眺めていたのを覚えています。

校舎はトラロープで囲われていて、教室の壁は全部なくなって外から丸見えで中に花が添えられていました。探索していると校舎から少し離れたところに犠牲者の名前と年齢が記された墓誌があり、まだ生まれたばかりの子供もいれば高齢者の方も、沢山の名前が書かれていました。

陸前高田未来商店街にて昼食をとった後、次に向かったのは米崎小学校仮設住宅です。そこで僕らは仮設住宅に住む子供たちやお年寄りの方々にかき氷を振る舞いました。最初は人があまり集まらず、氷も余ってしまうのではと思いましたが子供たちが「かき氷やってるよ!!」と友達を呼んだりしてしまいには近所のスーパーに氷を追加で買いに行くくらい大盛況でした。

一方僕はそこの仮設住宅に住んでいるおばあちゃんと仲良くなりそのおばあちゃんの部屋に入れさせてもらう事になりました。お邪魔させていただくと、4畳ほどの部屋にタンスとテレビ台、テーブルなどがほとんど隙間なく置かれている状況でした。どうやって寝ているのか聞いてみると「寝るときはテーブルをよけて押し入れに下半身をいれて寝ている」と教えてくれました。自分が今おかれている環境のありがたみをより一層感じる機会になりました。

かき氷も無くなり次に向かったのは、防災士の佐藤一男さんの所です。全てのお話がとても印象に残っています。花や苗を外に設置することで毎日水やりという作業が発生し、そのたびにお隣同士でコミュニケーションをとれる。孤独死をさせない方法の一つでもあります。

しかし皆が皆、家族を失った痛み、帰る場所が無くなった苦しみを克服できたわけではなかったそうです。「財産を失い、大事なものをなくしたから大災害。みんなが備えていれば大災害ではない」このつらい気持ちは私たちだけにしてほしい。そんな言葉ももらいました。

ツアー最終日

語り部の釘子さんの案内で陸前高田市街地を回りながら、バスの中で陸前高田の震災前と後の映像を見ました。釘子さんはこうして何回もこの映像を見ながら語り部の活動をしている。震災の事実を伝えていこうという熱意から強い地元愛を感じました。

実際に津波のきた高さがわかる建造物をいくつか見ました。数字だけでしか聞いたことのない高さを初めてこの目で見て恐ろしくなりました。こんな高さの津波が後ろから家や電柱を取り込みながら迫ってくる、そして目の前で自分の家族が飲み込まれたら…。想像しただけで胸が締め付けられます。

釘子さんから3つの質問を受けました。

1. 自分の避難すべき場所にいったことがあるか
2. そこにどんな備蓄があるのか
3. そこは本当に安全か

僕は2つ答えられませんでした。行ったことはあるが、本当に安全か。そう聞かれると自信がありませんでした。備蓄なんて全くわかりません。備えも大事ですがこの質問にはせめて答えられるよう、知識をつけようと思いました。

その後は最後のイベントで佐々木学さんと船に乗らせていただきました。船の上から見える海の風景はとても澄んでみえました。佐々木さんも色々お話をしてくれたのですが、波の写真を撮りすぎて、船酔いで話をほとんど聞けませんでした(汗)

佐々木さんとお別れをして、1本松を少し見た後、お土産屋さんに行き、一ノ関に到着。新幹線に乗り、各自解散でこのスタディツアーは幕を閉じました。

このツアーが終わり、強い使命感を感じています。それはこの3日間で得た3つの知識を伝えることです。東北の二万人の命を教訓として、震災に備えれば、大災害じゃなく大地震にできます。身近なところから震災に対しての備えをすることが出来ます。

1つ目は玄関に防災グッズを置くことです。玄関に物を置くとすごく邪魔だと思いますが、その「邪魔」というのがそこにあるという意識を高めてくれる。と防災士の佐藤一男さんはおっしゃっていました。

2つ目は地域でコミュニケーションをとることです。そうする事で情報や物資を共有できます。

そして最後は、もう一度安全な場所を確認し、家族で集合場所を決めておくことです。避難所が安全じゃなければ、避難所じゃありませんよね。釘子さんからのご質問にもあったように、本当に自分の避難する場所が安全かどうか見極める必要があります。そして災害時、連絡手段がない時に集合場所を決めていれば、家族を探しに行って命を落したり、行方不明者の居場所を絞れたりと便利です。

いつまた災害が起こるかわかりません。そのためにもこのレポートをみてこの3つの事を実践していただければ嬉しいです。

貴重な体験でした。安田さん、そして参加した他の仲間たちも出会えてよかったです。3日間ありがとうございました。

高校生東北レポート2016

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