「東北の素晴らしさを伝えていきたい」高校生・東北スタディツアー参加報告 上原瑞歩

2016/11/06上原瑞歩(福岡県)

楽しんでいいのか。悲しんでいいのか。笑っていいのか。泣いていいのか。複雑な感情を抱いていた一日目。精一杯様々な思いを感じ取り、感じたことをめいっぱい持ち帰ろう。悲しい部分だけでなく前向きな部分にもっと目を向けよう。吹っ切って臨んだ二日目。外から来た人を楽しませることができるほど復興したんだから楽しもう。取材者として泣くのはよくない。私の中で一種の結論が出て臨んだ三日目。

この三日間のツアーで得たものは非常に多く、ここにすべてを語り尽くすことはできません。ですが、できる限りのたくさんのことをこの文章を読む方々に伝えたいと思います。まずは様々なものを見た中で印象に残った3ヶ所のことを書こうと思います。

1ヵ所目は福島の海。この時の私が抱いていた福島の海のイメージは津波の濁流。そんなはずはないことが分かっていても、かつて仙台市に住んでいて震災の被害にあった私の脳裏にはあの日の映像が強く焼き付いていました。

でも、実際に見た福島の海は真っ青でとっても美しく静かな光景でした。「きれいすぎる。なんで?」というのが私の感想でした。こんなにきれいなのに、なぜ、どうして、あんなにも無残に全てを奪い、悲しみをもたらしたのか。そう思うとやりきれない気持ちになりました。悲しみが、痛みが、海に溶けているような気がしました。

2ヶ所目は大川小学校。ここで私は児童たちがどんな気持ちで津波に飲まれてしまったのだろうと考えました。震災当時同じ小学生だった私は地震だけでも怖くて泣いていました。大川小学校で亡くなった児童はきっと言葉では表せないような気持ちだっただろうと思います。

校舎だけでなく、校庭に建てられた慰霊碑も見学しました。慰霊碑には亡くなった方一人ひとりの名前と年齢が刻まれています。「亡くなった方々」というくくりではなく、一個人がここで亡くなったという実感。それはとても重いものでした。黙とうをしながら自然と涙があふれました。

大川小学校では80名以上の方が亡くなったため、震災遺構として残すことに関してご遺族の気持ちは複雑でした。ちなみに、遺族の方々や行政の間で議論が重ねられた結果30年後まで残し、30年後にその先震災遺構として残すか取り壊すかを決定するという結論が出ているとのことです。

3ヶ所目は陸前高田市。未来商店街で食べた担々麺のおいしさ。雑貨屋さんの店員さんの笑顔。米崎小学校の仮設で出会ったふっちゃんという笑顔の素敵な優しいおばあちゃん。華やかな動く七夕の山車。キラキラしている海。採れたてのホヤのおいしさ。盛んにおこなわれているカキの養殖。とっても楽しくて心躍る光景と体験でした。魅力にあふれているこの町を一瞬で大好きになりました。

一方で、やはり楽しいだけではない場所でもありました。津波で無残に倒された堤防。いまだに仮設住宅に住まざるを得ない人が数多くいる現実。災害復興住宅で起こる孤独死。多くのものを見えないものにしてしまうかさ上げ。終わらない復旧工事。津波に襲われた道の駅タピック45。あまりに大きな新しい堤防。

津波の威力を改めて思い知るとともに、復興の現実を突きつけられました。津波の破壊力はものを壊すだけで終わりません。日常生活を壊し、時間を奪う。そしてそこに住む人々のつながりを奪う。生きている人と命を落とした人。家族を亡くした人とそうでない人。県外避難をした人としなかった人。あげきれないほど様々な隔たりが生まれます。

また仮設住宅や災害復興住宅に入ると従来の近所づきあいをするのは難しくなります。仮設住宅での近所付き合いに苦労したと語ってくださった入居者の方もいらっしゃいました。

ところで今回のツアーにおいては様々な場所を見ただけでなく多くの方からお話を伺う機会もありました。

一日目は南相馬市に住む上野敬幸さんからお話を伺いました。「福島は原発事故の被害に目を向けられすぎている」という言葉にハッとしました。メディアは当たり前のように岩手県、宮城県に関しては津波被害、福島県に関しては原発事故被害を取り上げます。この時まで報道に差異があるという事実に気づいていませんでした。福島県の沿岸部も津波の被害は甚大だったのになぜ福島県は原発しか取り上げられないのか。疑問に思うこともなかったのです。

このようなことが起こるのはなぜか。おそらくマスコミの都合で福島県における津波被害が軽視されているのだと思います。上野さんは「津波だけならよかったのに」と言った人を見たことがあるそうです。そういった人を上野さんは「想像力がない」とおっしゃっていました。私は、想像力がないだけでなく、おそらくこういった偏りのある報道にも起因していると思います。

夜は追分温泉で津波を経験されたお二人からお話を伺いました。お一人は写真を趣味にされていて日頃から写真を撮っていらっしゃいました。しかし、津波を目の前にしてシャッターを切ることができなかったそうです。「もっと記録を残しておけばよかった」とおっしゃっていました。

もう一人の方は役場に勤めている方でした。この方は実際に津波にのまれた経験をお持ちでした。波にのまれて息ができなくなった時、走馬灯のように家族の顔が見えたそうです。その家族に向かって「ごめんね」と言ったら幸い波から出ることができ、その後、途中で出会った保育園の先生から励まされながら夜明けを待ったそうです。貴重な体験談をお聞かせいただきました。

二日目には陸前高田市の米崎小学校仮設住宅で佐藤一男さんからお話を伺いました。佐藤さんは米埼小学校仮設住宅で自治会長をされています。たくさんお話を伺いましたが、その中でも心に残ったのはまとめる側として動いていらっしゃったときの心がけ。「ちょっといい人になってみよう、と思って動いていた。」とおっしゃっていました。これは行動の見た目をよくするということです。

私は大変そうだと思いましたが、大変でも慣れるとのこと。私もリーダーとしての経験をして改めてすごいと思いました。やろうと思ってすぐにできるようになるのは難しいですがこれから私も心掛けていきたいです。

最終日には陸前高田市で語り部をしていらっしゃる釘子さんから復興の様子などについて伺いました。被災し復興に向かっている現在の様子しか知らない私はどうしてもここに人の生活があったということを想像するのが難しかったのですが、釘子さんから震災以前の陸前高田市の様子も伺うことでより深く陸前高田市のことを知ることができました。

そして最後に、みなさんが共通しておっしゃっていたのは「この震災を教訓にしてほしい」ということです。今の日本人には危機意識が足りないと思います。これだけ自然災害の多い国に住んでいながら「私は大丈夫」と思っている人が多いのです。

「もう『まさか自分が。』という言葉を聞きたくない」とおっしゃった方もいました。その言葉が被災者にまた悲しい思いをさせます。ある方は「100回の警報が外れても101回目も逃げてほしい。また外れてよかったって笑うくらいがちょうどいい。空振りで当たり前」とおっしゃっていましたが本当にその通りだと思います。

「津波が来たら『ここまで来たら大丈夫。』と思わずに休まずに高いところに逃げてほしい。走り続けてほしい。中段で止まった人がみんな流された」という言葉も聞きました。玄関に非常用持ち出し袋を用意する、避難所までの経路や避難方法の確認、避難所の安全性、非常時どういった方法で連絡を取るのかを家族で確認する、何かあったときにはきちんと避難するといったことを心がけることが、自分や家族や大切な人の命をまもることにつながります。

最後に命を守るのは防災の考え方です。今年の4月にあった熊本や大分の地震でも大きな被害が出ました。この地震が起きたとき、私の住む福岡でもスーパーの棚から商品が消えました。この現象は日頃から災害への備えができていないということを示しています。つまり、防災に対する意識が薄く、危機意識がないということです。

今回の震災による福岡県内の被害は少なかったからよかったものの、被害が大きかったらと思うとぞっとします。2万人が亡くなった東日本大震災、その教訓を忘れない、伝え続けるということが必要だと改めて思います。

このツアーで被災地の状況を直に知り、たくさんのことを得られました。復興の進み具合。そこに住む方々の人柄の良さ、奮闘の様子。福島県と岩手県や宮城県の状況の差。知らなかったことばかりでした。

充実した経験をした一方、やはりそれぞれの土地やその土地の一人ひとりに震災から5年以上の経験があり人生があるので、全てを得られたとは思っていません。今回のツアーでは様々な方々とのつながりという種をたくさんいただいたのだと思います。これからまた何度も東北を訪問して少しずつその種を育てていつか大きな花を咲かせ、よりたくさんの人にこの震災を、教訓を、そして東北の素晴らしさを伝えていきたいと考えています。

高校生東北レポート2016

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