(C) 家老賢太(東京都)

「二度と、あの悲劇を繰り返さないために」高校生・東北スタディツアー参加報告 家老賢太

2017/11/03

東日本大震災から6年の歳月が経った。震災当時小学生だった僕も、やがて中学・高校へと上がっていったが、同時に震災について、考えることも少なくなっていった。

東北スタディツアーに興味を持ったきっかけは、昨年海外で出合った、熊本高校の同学年の友人から、熊本地震での高校や家の被害状況を聞いたことだった。実際に地震を体験した人から直接話を聞くと、自分に起きたことかのような気持ちになり、震災が起きたときどうすればいいのかを考えるようになった。しかし、僕自身は、これまで震災でほとんど被害を受けた経験が無く、被災地をこの目で見たことさえなかった。そこで、震災が起きたときにどうすればいいのか、起きる前に何をすればいいのか、ということを見つけるため、僕はこの東北スタディツアーに応募し、参加することにした。

東北へは(部活の合宿を除いて)7年前に岩手県遠野市に行ったときのみで、震災後に来るのは初めてだった。この4日間は短いものではあったが、とても濃厚に感じられるものだった、

1日目

初日、南相馬市原町区萱浜の上野敬幸(うえの・たかゆき)さんから話を聞いた。安田さんの言葉を借りれば、上野さんにとって僕たちに震災のときのことを語ることはもしかすると、負ってきた心の傷のかさぶたを、もう一回引き剝がすように辛いことだったかもしれない。しかし、上野さんは震災が起きた後、どんな状況だったか、どういう心情になったか、ということを丁寧に語ってくださった。

地震が起きたときのこと、津波が起きたときのこと、
福島原発事故が起きたときのこと、
消防隊員の仲間たちのみで行方不明者を捜索せねばならなかったこと、
瓦礫やぬかるみを探し続けたときのこと、
長女の永吏可(えりか)ちゃんの遺体を見つけたときのこと、
長男の倖太郎(こうたろう)くんを一心不乱で探しつづけたこと、
二人の子供を救うチャンスがあったのではと自分を悔やんだこと、
東電に怒りがふつふつと湧いてきたこと、
東電の社員が家を一軒一軒回っているのを見て、人として許せるようになったこと、
そして、たとえ東北の悲しい記憶を忘れても、“決してこの教訓を忘れてほしくない”ということ。

上野さんの話を聞いて、僕ははっとさせられた。僕は、今までテレビで震災のニュースを見て、悲惨に感じたり、悲しんだりすることはあったかもしれない。でも、僕は自分自身が命を守るための対策を、ほとんど何も立てていない。それでは結局、たくさんの人が被災し亡くなっていった、あの震災の教訓を活かせないことになってしまう。

上野さんは最後に、
「東北を忘れない、のではなく、いかに犠牲者を減らすかを考えて」
「家族や友達を大切にしてほしい。命と向き合うことを大事にして」
ということを語ってくださった。

この話を聞いて、減災のためにみんなに呼びかけていくこと、家族や友達を大切にすること、そういう小さい積み重ねを、僕はしていくことにした。

2日目

翌日は、防災士の佐藤一男(さとう・かずお)さんから話を聞くことができた。佐藤さん(一家)は、実際に震災で避難所経験をされた方で、そのときの話や、震災が起きたときにどういうことが起きるのか、どう対策すればいいのか、ということを具体的に聞くことができた。

佐藤さんは、
「大変でしたねというのではなく、自分は何ができるのかを考えて」
「100%人を助ける方法ではなく、助かる可能性を上げる方法を」
「もし自分がそこにいるとしたら何をせねばならないのかを考えてほしい」
ということを語ってくださった。

また、僕は、話を聞いた後に、今まで少し心配になっていたことを聞いてみた。僕の家族には、自力では避難することができない人(災害弱者)がいる。僕にとってとても大切な、かけがえのない存在だが、いつも家族が一緒にいるわけではなく、いざというときに守れる自信がなかった。災害が起きる前にどうすればいいのかということを聞くことにした。

佐藤さんは「自分の家には、こういう人がいるよということを周りに発信していくことが大切、そうすればいざというときに、周りが助けてくれるはず」と語ってくださった。僕は、今まで(地域間での)コミュニティということを意識したことが無かった。何かあっても自分だけでなんとかしなきゃいけない、という固定観念のようなものがあったのかもしれない。

防災用語には、「自助・共助・公助」という言葉がある。自分のことは自分で守るという意味の「自助」、地域コミュニティ単位で災害時に助け合う「共助」、そして国や地方公共団体が公的に行う救助や支援を指す「公助」。もちろん、自分のことを自分で守る(自助)は、基本であり、不可欠なものだ。しかし、個人の力では限界があり、自分では避難できない人も多くいる。そのときに地域コミュニティの力(共助)が必要になってくるというのだ。

僕はこれから、地域のコミュニティを意識して生活していこうと思う。人同士の助け合い、関わり合い。自分自身から人を助けていける人に、なっていこうと思う。

3日目

そして三日目、七夕(昼の部)が終わった後に、釘子明さんという方から話を聞いた。釘子さんは、陸前高田を中心に被災地の語り部をされている方で、今回は旧・道の駅の高田松原周辺や陸前高田の市街地などを案内していただいた。その中で、バスでかさ上げ地が見えるところまで向かった。話を聞くと、目の前に見えるところが、もともと自分の家のあったところだったという。

釘子さんは震災が起きたときのことを当時の写真を見せながら説明してくださった。近くの中学校に避難したが、重要な避難所であるにもかかわらず、水がほとんどなく、トイレも使えなかったために、苦しい避難生活を強いられたという。釘子さんは僕たちに聞いた。自分の避難所を知っているか、避難所に行ったことはあるか、避難所の備蓄を確認したことはあるか。

僕は一番近い避難所が近くの小学校だったため、避難所まで行ったことまではあったが、避難場所にどんな備蓄があるのかは分からなかった。まず家に帰ったら、最初にそれを調べることにした。

今回の東北スタディーツアーでは、たくさんの方々に会うことができた。陸前高田市の伝統的な祭りである、うごく七夕まつりでは、山車を運ぶ体験をさせていただいた。山車のきらびやかな装飾、笛や太鼓のおはやしの音、皆の掛け声。全てに圧倒された。祭りに参加した人も、震災で被害を受け、辛い体験をされた方も多いだろう。この日までに準備や計画、そしていろいろな人々の助け合いがあって、祭りがこれほどにいいものができたんだな、と考えると、とても感慨深かった。

このツアーでは、震災の教訓を伝えていくこと、地域交流を大事にしていくこと、そしてどんなに悲しい、辛いことがあっても、前を向いていくことの大事さを学ぶことができた。これらの学んだことを、しっかりと伝えていきたい。二度と、あの悲劇を繰り返さないために。

高校生東北レポート2017

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