(C) 丹治勇介(茨城県)

「お互いの想いを共有し、新たな道へ」高校生・東北スタディツアー参加報告 丹治勇介

2017/11/03

福島県南相馬市原町区萱浜、上野さんはそこに住んでいます。バスから眺め、バスから降り立っても眺め続けた風景は、津波の悲惨さを物語っているかと思うとそうでもなく、田があり、草木が生え、ほんの少し復興の兆しが感じられる風景でした。それでも、その中に津波がどんなに甚大であったかがわかる箇所が点在していました。そうした萱浜の風景の中、数えられるぐらいしか建っていない建物の中に上野さん宅がありました。

「家族への思いでこの地に縛りつけられる」と上野さんは言います。上野さんは最愛の家族4人を亡くしています。萱浜の地で、地元の復興を推し進めようとする上野さんの活動の背景にはこの地で亡くなった家族を想う上野さんの愛があったのだと私は感じました。今は亡き家族のことを話すことがどんなに辛いことなのか、私には分かりません。そのときの上野さんは何本もタバコを吸い続けながら話をしていましたが、その表情には感情が感じられませんでした。

「生きよう」とは思わない。
でも「死にたい」とも思わない。
ただ「死」を待っている。
「死」が待ち遠しくてならない。

そう話す上野さんに私はどう接していいのか分かりませんでした。被災地の方々の「笑顔」を撮り、被災地の美しさを皆に伝えたいと思っていた自分。被災地の本当の姿をとらえ、多くの人たちに知ってもらいたい自分。そんな理想を描く自分がいました。しかし、最初に出会った上野さんの話を聞いて、そうした自分が消えかけ、私は上野さんを撮っていいのか少なからず躊躇していました。「こんな自分が上野さんを撮影する権利などあるものか」と思ってしまいました。

そんなとき、上野さんを中心とした福興浜団のメンバーが近々行われる被災者を追悼する福興花火の準備のために上野さん宅に現れました。メンバーと話しているときの上野さんは笑っていました。その前の上野さんが思い出せないほどの朗らかさで笑っていました。一瞬躊躇したことも忘れて私はシャッターを切りました。カメラの液晶を見たとき、そこには満面の「笑顔」の上野さんがいて、上野さんの温かい人情味のある人柄を感じ、悲しみに包まれている上野さんだけではなかったのだと安堵しました。私にとってはどちらの上野さんも忘れられない上野さんでした。

「教訓」という言葉。上野さんが何度も強調し発した言葉です。

津波の犠牲となった2万人の命を忘れずに、ここで起こったことを教訓として伝えるべきだ。この言葉は上野さんが震災と長い間向き合って見いだした答えだと私は思います。これから何年後、何十年後、もしかしたら明日大地震が私たちの街を襲うかもしれません。これから被災地の復興を担うのは私達若い世代であるというのに何の危機感もなくただ犠牲を増やしてしまったら……この震災での経験を糧に私たちは強い信念を持って生きなければならない、この考えをたくさんの人にぶつけていかなければならないと思いました。

さらに旅は続きます。バスの車窓から眺める陸前高田市のかさ上げされる土地、もう列車が通ることのない線路。ものすごい勢いで津波が広がり、この町の記憶さえも攫っていったのかと思いました。

自分の判断で行動し、大切な人を守るべき。常に地震に備えるべき。と防災士の佐藤さんは言っていました。地震が起こってからではもう遅い、地域で相談し、協力し合うことで事前に被害者を減らすことができる。佐藤さんは震災時の津波で自宅を流され、家族で体育館に避難したことがあり、震災直後の避難所の状況を教えてくれました。備蓄の少ない、プライバシーのない体育館で生活したこと。その後移住した仮設住宅も佐藤さん家族の人数に比べて部屋はとても小さく、そこで日常的な生活をすることはとても困難だったこと。

ここでも私は思い知らされました。「次の地震への意識が無い」と。佐藤さんの「自分が逃げるべき避難所が分かるか?」という問いに心の中でドキドキしてしまいました。私は自宅近辺の避難所すら知りませんでした。

安全だと言われている避難所も、もしかしたら津波に攫われてしまうかもしれない、倒壊の危険があるかもしれない、安全性を自分で判断して非難するべきだ。と佐藤さんは言います。私は東北の復興が進めばそれでいいと思っていた自分を殴りたくなりました。まずは私たちが自分自身の身の周りの場の安全性を考慮し備えなければならない、家族や大切な人を守らなければならないと思いました。私がやろうとしていた写真や言葉で伝えるということは一方的なイメージでしかなく、大きく間違っていたことに気づきました。

陸前高田市は、霧に隠れて連なりあい、そびえ立つ山々に囲まれ、リアス式海岸の独特な地形の中に広がる、自然の美しい場所でした。私は動く七夕祭りに参加させていただきました。日頃から、自分自身が祭りを撮りに行くことが多く、祭りに対して憧れが強かった私にとって、祭りの山車に触れさせていただくということがすごく光栄に思えました。ただ、そんな思いがありながらも、あくまで部外者であり祭りの素人である私たちを川原(かわら)組の方々が快く迎えてくれるのかという不安も頭を過ぎりました。しかし、そんな心配は無用で、川原組の方々は私たちを迎え入れてくれ、快く山車を押させてくれました。いつもは祭りを外から撮影していますが、実際に自分が全力で山車を押しながら見る祭りの姿は思った以上にすごいものでした。掛け声をあげ、山車を皆で協力しあって押す、情熱的でなにか熱いものが込み上げてくるような熱気の中、笛や太鼓を嬉々として奏でる人達、暗闇の中灯る温かい色合いの山車の明かり……本当に美しい祭りでした。あいにくの雨でしたが、祭りの間中そんなことは忘れていました。

しかし、その美しい情景から一転して、その周辺に目を向けると、その地に住む方々の思い出であっただろう場所にかさ上げされた土地が広がっていました。次の起こるかもしれない地震に備えてかさ上げしなければならないと分かっていても、元々の土地の姿を失うのはとても悲しいことだと思います。優しく男気溢れる人々、はじけるくらいの笑顔、熱気の絶えない空間。こんなに素晴らしいものを絶やすわけにはいかない、私たちはもっと東北に目を向け、その良い部分を知るべきだと感じました。私は被災地の生々しい実態をとらえようと、被害にあった場所ばかり見つめていましたが、祭りの生き生きとしたあの姿が目から離れません。こんな東北の素晴らしさを伝えるべきだと感じました。

震災から6年経った「今」、私は被災地で懸命に生きる人々の姿、少しずつ進んでいる復興の情景を見ました。しかし、未だ仮設住宅で暮らす人々がいて十分な生活を送ることができないという状況、県外で職に就き生活する人が増え、地域によっては過疎化・高齢化が進んでいるという状況、そういったまだ立ち直っていない被災地の本当の状況を知らない人の方が多いというのが現実です。

今回のツアーを通して、私は無知なまま被災地に関わり、支援しようとした自分の傲慢さを思い知らされました。ツアーに参加する前の私は復興をいちはやく進めるために、被災地の方々の姿・実態をとらえた写真を撮り、それを見てもらうことで自分と同じ若い世代が被災地について知り、風化していた震災の記憶を取り戻し、被災地の方々が日常生活に戻れるよう支援する思いを持つことが必要だと思っていました。

しかし、上野さんや佐藤さんのお話には被災地の未来とともに「私たちの住む地域」のこれからのビジョンが明確に組み込まれていました。そこには私たちは「今」を何をすべきなのか、意識すべき重要な点とはどういったものなのかという「未来」へのプランが描かれていたのです。

茨城に戻ってからも上野さんの話が何度も頭をよぎり、あの時の情景が目に浮かぶような気がしました。震災に対する気持ちはまだあやふやで心にもやもやとしたものが淀んでいる気がしました。自分の中で答えを見つけたいという気持ちがありました。一方で、またあの地へ足を運び、福興浜団が打ち上げる花火をとらえたい、そこに集まる多くの人々の姿をとらえたいという衝動に駆られ、8月12日、私は再び南相馬へ戻りました。

そこには被災地に対して強い想いを抱くアーティストの方たちが集い、歌を披露していました。音楽でたくさんの人と繋がりあった結果、この地に集結した方々が多く、一人一人被災地への熱い想いを語っていました。アーティストの多くは地元の方でしたが、中には県外から来ている方もいました。

この人たちは音楽で被災地への想いを「伝染」しあっている。

私もこれから「伝染」の幅を身近な人から広げ、自分の想いを次々と「伝染」させていきたいと思いました。音楽という観点を写真という観点に置き換えると、自分自身が理想へと高まるのを感じました。

夜、打ち上げられた2000発の花火。霧でかすんでぼんやりとしか見えていなかったのですが、子ども達は歓声をあげ、皆同じ所を見上げていました。そのとき、皆と共にこの地にいる、この地で自分自身も繋がっているのだと強く感じました。ここを原点、スタートとしてアーティストの方々や上野さんのように多くの人と関わり、自身の写真で多くの人々と繋がり、結びつきを深めていきたいと強く思いました。

これから続いていく社会で、私たちの世代は地震の知識を身につけ、防災に対する責任を担い、一人一人が相談しあい、お互いにその気持ちを伝染させていく必要があるはずです。淡々と日常生活を送る私達が東北や他の被災地の現状を知り、被災地の方々と強い繋がりを持ち、援助しながらも自分たちの街の災害への意識を持って生きていくべきだと思います。

この震災での経験を糧に私たちは強い信念を持って生きなければならない。
この考えをたくさんの人にぶつけていかなければならない。

と思いました。そうしていくことで、お互いの想いを共有し、新たな道へと歩み始めることができるのではないでしょうか。

高校生東北レポート2017

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