(C) 立見梢(神奈川県)

「”自分にできること” の模索を諦めてはいけない」高校生・東北スタディツアー参加報告 立見梢

2017/11/03

私は、今まで東日本大震災に対して漠然とした危機感しか抱いてこなかった。また、データを通して震災のことを知ることは多かったが、被災地の方々と実際にお話する機会が無かった。震災から6年半経った今、自分に出来ることはないだろうか、と考えるようになり、このスタディツアーに応募するに至った。実際、スタディツアーで過ごした4日間はとても密度が濃いもので、当たり前のように思ってきた日々を振り返るきっかけとなった。

1日目 上野さん

上野さんのお話は、私たちが受け止めるには重すぎるものだった。上野さんの真剣な表情、強くまっすぐとした眼差しが今でも忘れられない。私は、お話を聞いているうちに、自分の、また自分の周りの人の、災害に対する意識の低さを痛感するようになった。あの東日本大震災があってから、熊本地震、そして各地で今まで見たこともないような水害が起こった。そしてこれからも災害はたくさん発生するだろう。そういった災害の被害に対して、上野さんは、「どうしてもっと早く避難しないのか。(自分の亡くなった)家族の命が無駄に思える。」と重々しい口調で、悔しさを滲ませながら語る。私はその言葉を聞いて、はっとした。私たちが被災地の方々の教訓を活かさずに同じような犠牲者を生み出してしまうことは、上野さんのような、その前の災害の被災地の方々を傷付けることでもあることに今まで気付いてこなかった。実際に災害に遭った地域の教訓を活かさずに、どうして自分の地域の災害対策ができようか。もし、突然地震が発生したら、本当に自分の身は守れるのだろうか。そのようにして自分の中で思いを巡らすうちに、いかに自分が災害に対する危機感が無かったのかを実感し、胸が苦しくなった。今まで震災に対して何も考えてこなかったわけではない。学校の授業で考えさせられる機会が確かにあったはずだったが、まだ災害に対する見方が甘く、どこか「他人事」として捉えてしまっていた。

また、福島県の原発事故に関して、上野さんは「原発のあり方を判断するのは地元だ。」と一貫しておっしゃっていた。私は、以前、東京で原発を再稼働することに反対するデモ集団を見たことがあり、また学校内で行われた話し合いでも原発に反対する声が強かったので、その言葉は新しいものに思えた。そんな上野さんは、原発に賛成でも反対でもないという。それは「どちらでも良い」、「どちらかに決めかねている」という意味ではなくて、「地元の方々の意見が大事であり、尊重すべきだ」ということである。私は以前、学校で原発についての討論を行ったことがあるが、「節電を常に意識することなく過ごしている自分が原発について語っていいものなのだろうか」と思い悩んだことがあった。原発事故から月日が経った今、節電の意識は次第に遠のいているように感じる。そのような中で、原発について自分の意見を語ることが無責任なことに感じてしまい、とても情けなく思った。上野さんの東日本大震災の経験は、聞いているだけで胸が苦しくなるようなものであったが、それはただの大勢の被災者のうちの一人の被災体験ではない。一つの被災体験として聞くだけではなく、自分の立場に置き換えて、これから自分の身に起こるだろう災害の対策に繋げなければ、同じような犠牲者は無くならない。しっかりと「教訓」として受け止め、自分の家族、友達、地域で防災していけるように、このお話、そしてそこから学べることを周りの人々に伝えていきたいと思った。

2日目 佐藤さん

「何も出来ないと思うかもしれない。でも、構えておいて、しっかり考えることを諦めないで欲しい。次の被災者にならないで欲しい。」佐藤さんの切実な思いに私は胸を打たれた。どこか私は災害に対して、何も出来ないと諦めていた。図書館で資料を調べても、学校で話し合っても、まだ高校生だから何も出来ないだろう、たった一人が動いても意味が無いかもしれないと心底感じていた。しかし、ここで諦めてしまったら、いざ災害が起きた時に何も出来ない。1日1回、今いる場所は果たして本当に安全なのか確認してみてはどうだろうか。「災害の時の備えはもうしている?」と普段話してみてはどうだろうか。私たちは本当に災害発生時まで何も出来ないのだろうか。今ここで諦めるのではなく、何度も考え直すことが大事なのだと危機感を伴って感じることが出来た。東日本大震災の被害状況や体験をただ知るのではなく、「私たちは何をしなくてはならないか」を学ばなくてはいけない。今、自分が家族と避難場所について話したことが、もしかすると災害時に家族の命を救うかもしれない。今のうちから、救える命をしっかり救えるように、対策していうことは可能だと確信を持てたように思う。

また、ニュースで多く報道されていた、大川小学校に訪れた。建物は震災当時のまま残っていて、教室の黒板もあった。ここに確かに命があったことを実感すればするほど、災害の残酷さから目を離すことは出来なくなった。東日本大震災から約6年半が経つ今、あの大災害の記憶は薄れていく一方だ。記憶が風化してしまうのは仕方の無いことかもしれない。しかし、そこから得られる教訓をないがしろにしてしまうことは、次の被災者を生むことになってしまう。大川小学校は、一度立ち止まって災害について考え直す、東日本大震災の悲惨さを思い出して防災の危機感を抱くきっかけになるのではないかと思う。

3日目 釘子さん

釘子さんは、実際の自分の体験を踏まえ、全体的に具体的なことをお話してくださった。病院、市役所、避難所の位置は、重要であり、災害時に対応できる場所でなくてはならないが、今からそのようなまちづくりをするには、時間も資金も人材も必要だという。そういったことを進めているうちに、もしかしたら大災害が起こるかもしれない。私は、今まで東日本大震災について考える機会があっても、具体的な災害対策を考えることが出来ず、結果として、防災について言葉を並べるだけで、自分で行動することが出来ていなかった。しかし、災害についてどれだけ調べていても、実際に自分の地域に当てはめて考えることが出来なければ意味が無いということを実感し、私は焦りを募らせた。自分のまちで過去にどのような災害があったのか、そもそも自分たちのまちは、どのような地形なのか。近くに川があるのなら、その詳しい位置を、地域の避難所があるのなら、その正しい行き方を、そして、その避難所の備蓄を確認しなければいけない。海から遠いから大丈夫だ、避難所が近くにあるから安全だ、というように思い込むのではなく、常に安全かどうか疑ってかかる姿勢を持つことが大切であり、その意識が自分、そして自分の大切な人の命を救えるかもしれない。私は、釘子さんの確かに救える命があったという悔しさが伝わってきて、二度と同じことは繰り返さないように今できることをもう一度、本気で考えようと思い直した。そして、被災地に足を運び、このような貴重なお話をお聞きすることが出来た私たちには、自分の家族や友達に伝える義務があるのだと思った。

かさ上げ工事が進み、被災地は茶色の土に覆われていく。釘子さんは、自分たちのまちが埋まっていく様子を眺めながら、寂しそうに目を細める。このかさ上げ工事が果たして本当に地元の住民の方々のためになるのか、私は分からない。50年も経てば、ここにまた、まちが広がっているのだろうか。考えたくはないが、また何十年後かに、再びここを津波が襲う時が来るのだろうか。かつて、チリ地震の津波がここを襲ったことがあった。そこから学べるまちづくりとは一体何なのだろうか。私は、かさ上げ工事の様子を見ていると、気が遠くなるようだった。災害から身を守る意識を個々が持つことはもちろんのこと、まち自体が災害の被害を最小限に出来るように作られることが出来たら、そして、その意識がここを原点にして日本各地に広まっていったら良いと思う。

そして、「うごく七夕まつり」に昼の部、夜の部と両方とも参加した。陸前高田を離れて、地元に帰ってきた今もお祭りのかけ声や、太鼓、笛の音が頭の中で未だに響いている。私は、誰でも温かく迎え入れてくれるような東北の人々の温かさに思わず涙を流すほど、とても感動した。ここ陸前高田は、かつて東日本大震災による津波が襲い、多くの死者と行方不明者を出した。そして、今ここでお祭りに参加している誰もが大切な人を失ったに違いないのに、このお祭りの力強さはどこから生まれてくるのだろうか。お祭りの山車は、ほとんど津波で流され、地元の人々の協力、そして多くの支援によって作り直されたのだという。何もかも流されてしまったあのときから、今に至るまで、時間をかけてやっとこの祭りが出来上がってきたのかと思うと、その人々の地域を大切にする思いに胸が熱くなった。

全体のまとめ

私は、今回のスタディツアーを通して、自分の視野の狭さにはっきりと気付かされた。そして、今までの普段の生活に物足りなさを感じるようになった。ニュースに留まらず、もっと多くのことを知りたい、色々なところに足を運びたい、老若男女、様々な方々からお話をお聞きしたい。そういうような思いが溢れて、止まらなくなった。しかし、そうはいっても、自分の好奇心からの軽率な行動が誰かを傷付ける可能性は十分にあるし、気を付けてはいても危険である。それが頭によぎった私は、このスタディツアー中に上手く自分のお聞きしたいことを言えなかったことがあった。今、冷静になって考えてみると、貴重な機会にお話を伺えなかったのはとても悔しいが、そのように一旦足踏みをする経験をして良かったと思う。お話を伺うことは、その人からお話を「頂く」ことである。よく自分の中で吟味して、「本当にこれで大丈夫だろうか」と再考する姿勢が取材においては大切なことだと思った。そして、地域の方々との交流を通して、自分と震災との距離が縮まり、自分と関係があることとして捉えることが出来た。

それから、お聞きしたことを次に繋げていくこと。自分で聞いて満足するのではなく、それを正しく広めて震災の「教訓」を通して、皆に危機感を少しでも持ってもらえたら良いと思う。周りに伝えるのも、やり方次第では他人を傷つけることがあるだろうし、ただ「災害に対して意識が高い人」になってしまう。まずは自分がいざ地震が起こった時にすぐに動けるように、避難所の場所や備蓄の確認、そして自分の避難する際に持っていくものを再確認すること、また家族と約束の集合場所を決めること、地域の地形や海抜何メートルか確認すること、そういう初歩的なことから始めていきたい。そのような防災が「災害に備える当たり前のこと」となるように、自分が先立って実行していけたら、周りに伝えやすくなるのではないかと思う。また、同じ事柄でも一人一人考えることは違うことを十分理解したうえで、自分なりの「伝え方」をこれから導き出せたら良いと思う。

私はこれまで震災について知る機会が何回かあったが、そこで「自分にできること」について考えることは出来ていなかったように思う。最初から災害対策することを諦めるのではなく、自ら模索して、先頭に立って防災に取り組んでいきたい。

高校生東北レポート2017

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