(C) 山中ちひろ(広島県)

「復興が少しでもはやく進みますように」高校生・東北スタディツアー参加報告 山中ちひろ

2017/11/03

陸前高田市にある大型商業施設、アバッセに立ち寄った時に目にした短冊に書かれた文だった。幼い文字で綴られたその短冊を見つけた時、胸を刺されるような思いがして、しばらくその場から動けなくなった。短冊を見つめていればいるだけ、言葉にし難い感情がじわじわと心を侵食していって、どうしていいかわからなくなった。

スタディツアーを終えた今でも、あの時の感情を巧く表す言葉を見つけられないでいる。ただひとつ思うのは、あの短冊を書いた子が「もう東北は復興したなぁ」と思えるような未来が訪れるよう、少しでも手伝いをしたいということだ。私が今回書くこの文章も、誰かの目に留まることで、少しでも東北に興味を持つ契機になってくれれば良いなと思う。

1日目

スタディツアー1日目、東京駅から新幹線で仙台駅へ向かい、バスに乗って福島県南相馬市へ向かった。バスの窓の外には緑豊かな街が広がっていたが、その風景の中にぽつりぽつりと黄色いショベルカーが浮いており、海岸に近づくにつれその数は増えていった。どこもかしこも工事現場みたいだな、とぼんやり思い、6年弱経った今でも被災地は被災地のままであることを強く実感した。

休憩も兼ねて立ち寄った南相馬の砂浜は、かつてはたくさんの人で賑わうサーフィンスポットだったそうだが、「遊泳禁止」の看板があり、曇天の所為もあって人が立ち入ることを拒んでいるように見えた。海岸で釣りをなさっているご夫婦と偶然お話しさせて頂いて、被災地の当時の様子や津波について聞いた。きらきらした笑顔で仰った「久々に釣りに来たの。本当に、久しぶりでね」という言葉の背景にどれだけの葛藤があったのかと思うと胸が詰まった。

その後、南相馬で被災され、ご両親とお子様2人を亡くされた上野さんのご自宅にお邪魔させて頂いた。上野さんは、ご自身が被災された際のことを一通りお話ししてくださったあと、「いま話したことは忘れてもらってもいい。”東北を忘れないで”とは思わない。悲しいことは早く忘れた方がいい。ただ、教訓を伝えてほしい」とおっしゃった。私はその言葉に、正反対な二つの感情を抱いた。

まずひとつは驚きだった。私は被災者の方々はみんな、”東北を忘れないで”と思っているものだと思いこんでいた。その考えが間違っているのだと初めて気づけた瞬間だった。上野さんだけでなく、被災者の方々は、被災者である前にそれぞれの考えを持った一個人で、震災に関しても様々な意見を持っている。ごく当たり前のことなのに、これまでの私はそんな当たり前のことを見落としてしまっていて、「東北の被災者の方々」という纏まりで被災地にいる方々を見てしまっていたのだと気付いた。

ふたつめは、納得だった。今回のスタツアを応募するにあたって書いたレポートにも同じことを記したが、私は経験していないことを完璧に理解することは難しいと考えている。どれだけ体験談を聞いたとしても、同じような経験をしたことがない私の想像では、実際には遠く及ばない。結局、完全な当事者になることはできない。それが私の考えだった。

今回スタディツアーに参加できることが決まってからの期間は、これまでずっと正しいと信じてきたその考えが初めて揺らいだ期間だった。お話ししてくださる方の名前がたくさん載ったしおりと事前資料が届いてからずっと、こんな風に考えてしまっている私がお話を聞いても良いのだろうかと悩んだ。そんな中で聞いた上野さんの言葉は、悩んでいた私の心にすとんと落ちてきた。震災について理解しようと努力すること、教訓を伝えること、家族や周りの友達に少しずつ話をして伝えていくこと、それなら私にも出来ることだなと考えられた。

2日目

スタディツアー2日目、児童74人が亡くなったという宮城県石巻市の大川小学校に立ち寄った。トラロープで囲まれた校舎の中には当時使っていたという黒板や時計がそのまま残されていた。私が普段当たり前に学校で目にするそれらが、震災遺構として残されている場所にあるということがなんだか不思議だった。2011年3月11日当時、小学3年生だった私と同い年の子も亡くなったのかということを想像して、なかなか受け入れることができなかった。あの瞬間、この場所で未来が閉ざされた人がいるのだと思うと、シャッターを切るのを躊躇わざるを得なかった。これからやってくる未来が当たり前に来るものではないのだと、噛み締めなければならないなと思った。

その後、防災士の佐藤さんとその娘さんのあかりちゃんのお話を聞かせて頂いた。自分の地域の標高を知ること、街中を歩いていて被災した際、避難出来るビルを探しておくことなど、生き延びる確率を上げる方法を教えて頂いた。お話が終わってから、スタツアのメンバーみんなでスマートフォンを使って自分の学校や家の標高や避難所について確認した。もっと自分が住んでいる場所について学ぶことの必要性を感じた。

3日目

スタディツアー3日目、陸前高田市のうごく七夕まつりの見学をさせて頂いた。前日にご厚意で乗せて頂いた大きな山車が煌びやかに飾られていて圧倒された。夢中でシャッターを切る私に川原(かわら)祭組の方々が「夜はもっと凄いんよ」と話しかけてくださって、心が躍った。

うごく七夕まつりの昼の部が終わって、同市で語り部をしていらっしゃる釘子さんのお話を伺いながら、市内を見学した。かさ上げ工事の様子がよく見える高台に登るためバスから降りた場所には、津波で流されてきた将棋の駒やレゴブロックが落ちていて、思わず息を呑んだ。そこには確かに、人の生活の痕跡が見えた。釘子さんのお話で最も心に残ったのは「自分の身近な場所に起きる災害に備えること、災害が起きてしまったら少しでも自分と家族が助かるように、どうにかすることが一番の供養になる」という言葉だった。これは、上野さんや佐藤さんがおっしゃっていたことにも通じていると思った。

パラパラと降り続く雨の中、うごく七夕まつりの会場に戻ってきた。夜の部が始まるまで少し時間があって、地元の方々や県外から祭りに参加しに来たという方のお話も聞くことができた。雨ガッパを被って外に出ては写真を撮って、雨が激しくなればテントに避難して――を繰り返している私たちに、川原祭組の方がおにぎりを下さった。4日間で色々な場所を訪れ、色々な美味しいご飯を頂いたけれど、何より心に残ったのはそのおにぎりだった。

雨は完全には止まなかったが、うごく七夕まつり夜の部は始まった。昼の部よりもたくさんの人が集まっていて、いよいよ祭り本番といった感じ。電飾で飾られた各祭組の山車が動き出して、お囃子が鳴り出した。「嗚呼、綺麗だなぁ」と思った。山車を引く人、大声をあげて指揮をとる人、太鼓を叩く人、笛を吹く人、法被を着た子供を抱いて山車を見守る人。祭りに参加しているすべての人がきらきらして見えて、とても綺麗だった。初めは少し、外側から見ているような感覚だった私は、その光景が眩しくて仕方なくて、どうしてか涙が出そうになった。少し経って山車に繋がったロープを引っ張らせて貰っているうちに、私も祭りに参加させて貰っているのだと実感できて視界が晴れやかになった。私はあまり同じ場所に留まらずに会場を歩き回って色々な山車を見たり屋台を回ったりしていたのだが、スタツアメンバーに会う度に上手く撮れた写真を見せてくれた。笑顔が溢れた写真が多く、みんな口々に「楽しいね!」と言っていた。祭りを終えてバスに乗った瞬間、お囃子の音と掛け声と、人々の雑踏が耳から離れて寂しく感じた。

4日目

4日目は4日間のスタディツアーの振り返りの日だった。改めて思い返してみると、ずっと命や生きることについて真剣に向き合って、考えていた4日間は初めてかもしれない。想像していた以上にエネルギーを消耗し、これまでの私がどれほど防災について考えていなかったのかを思い知った。この反省を持ち帰り、友達や家族と共有して考える時間を作っていきたいと思う。

被災地という場所を訪れてこの言葉で締め括っていいものなのか迷ったけれど、私はやはりこの東北という温かい場所に来られてとても嬉しかったし楽しかった。あの地でこうしてたくさんの人の思いを感じ、教訓を学べたことを、本当に幸せに思う。また東北に足を運びたい、そしてその時は東北の復興に貢献出来る人でありたい。その為にも私は、学び、考え、伝え続けていかねばならないのだと思う。

終わりに、私たちを温かく迎えて下さった東北の皆様、私にはない視点を持ったスタツアメンバーのみんな、このツアーに参加するきっかけをくださった菜津紀さん、私たちをサポートして下さったスタッフさん、このツアーに関わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。本当にありがとうございました!また皆様と東北でお会いできると信じています。

高校生東北レポート2017

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