(C) 藤井太聖

「僕にできる小さなことから」高校生・東北スタディツアー参加報告 藤井太聖

2018/11/01

1日目、東北スタディツアーで最初にお話を聞いた被災者の方は、上野敬幸さんだった。一番最初に聞いたが、お話を伺った方々のなかでお話される姿が一番印象に強く残っている。

上野さんは、東日本大震災でご両親と、娘の永吏可ちゃん、息子の倖太郎くんを亡くしている。そのなかでも子どもたちの死について、親として子どもを守ってあげることができなかったことを自分を責めるように悔やんでいた。上野さんには、震災後にうまれた子どもがいる。倖吏生(さりい)ちゃんといって、永吏可ちゃんと倖太郎くんから名前を一字ずつとっている。そんな倖吏生ちゃんには震災のこと、永吏可ちゃん、倖太郎くんのことをどのように話しているのかと上野さんに質問した。上野さんは、倖吏生には永吏可と倖太郎がいなくなったのはパパが悪いと話していると答えた。今では倖吏生ちゃんもパパが悪かったという認識でいるそうだ。倖吏生ちゃんに、遠くに行ってしまったんだよとか、お星さまになったんだよとか、震災で死んじゃったんだよという言葉でも伝わるだろうに、なぜパパが悪いと話してしまうのか、僕にはそれが分からなかった。それからスタディツアーが終わった後も考えてみたが、結局分からなかった。でも、今は分からなくてもいいと思っている。自分と自分の周りの人達を守ることができれば、倖太郎くんも永吏可ちゃんもパパを分からなかった僕を許してくれる気がする。そのためにも上野さんの気持ちが分からなくて悩んだときの自分の思いをこれから忘れずに、僕にできる小さなこと(家具を固定等)からして、自分と自分の周りの人達の命は自分が守ってやると強く思う。

上野さんは、とにかく教訓にしてほしくて話していると話していた。スタディツアーの一ヶ月前、「平成30年7月豪雨」が僕の地元広島を襲い、多くの方々が亡くなった。広島は4年前にも今回に似た豪雨災害があり、多くの方々が亡くなっていた。4年前、僕たち広島県民は豪雨に対して恐怖を抱き、防災意識を高くしたはずだった。しかしわずか4年でその恐怖を忘れ、防災意識は低くなった。4年前のことを教訓として生かせていたら、助かった命もあったのではないかと思う。と言う僕も実際生活している島根県の学生寮で、自宅のすぐ近所の様子がテレビで流れるのを見るまで、まあ大丈夫だろうという防災意識のかけらもないような気持ちでいた一人だ。だから上野さんが「東日本大震災のことが教訓として生かされないと、亡くなった人達の死が無駄になってしまう。」と話したとき、申し訳ない思いでいっぱいになった。これからは、防災意識をもっと高めて、過去の災害の教訓や記録からどうすれば人の命が守れるのか、災害で亡くなった人達の死が無駄にならないようにしっかり考えたいと思った。

夕方、石巻市立大川小学校の校舎を見学した。大川小学校は通っていた小学生の3分の2にあたる74人の子どもたちが津波で亡くなった。地震・津波の恐ろしさを倒れた渡り廊下、ボロボロの天井、ガラスのないグニャグニャになったドアが何も言わずに教えてくれた。あまりの衝撃に僕はここで写真を撮っていいのか困惑した。ここで小学生が勉強する姿、友達と遊んでいる姿を想像することは僕にはどうしてもできなかった。大川小学校は震災遺構として校舎が保存されるが、これから子どもの命を預かる学校の先生たちにもっと訪れてほしいと思った。

2日目には、陸前高田市の仮設住宅で暮らしている佐藤一男さん、娘のあかりさんのお話を聞いた。防災士の資格を持つ一男さんには、米崎小学校体育館避難所の運営を行っていて感じたこと、一人の被災者として感じたことなどの話を聞いた。避難所運営では、いろんな人達がいる避難所でさまざまなことに配慮しながら、ママさん達が炊事をしている間、代わりに中学生が保母さんの役をしたりと自分にできることをそれぞれが見つけてみんなで協力しながら運営していたというのがよく分かった。そして一男さんの話を聞いて考えさせられたのは、「被災地支援」についてだった。以前、大量の古着が仮設住宅に届いたことがあり、そのなかにはこれは着られないだろうという服(下着等)があったという。被災者はこんなものも着ると思われているんだと感じ、悲しい気持ちになったそうだ。支援するときは、もし自分のところで今後何かあったらそのときはよろしくねという気持ちでするということが大切だと思った。そして今被災者は何を求めているのかを知った上で支援をすれば、被災者の人達を余計に悲しい気持ちにさせたり、複雑な思いを抱かせずにすむということが分かった。

あかりさんにも話を聞いた。おもしろい話をたくさんしてくれたし、お父さんの一男さんのボケに対するツッコミの鋭さは、かっこいいと思うほどだった。そんなあかりさんは、今も仮設住宅で暮らしている。隣の家との距離が近いこと、騒げないこと、遊ぶスペースがないこと、ふつうの子どもがあたりまえにしていることができないというのは、どうすることもできないことだからこそ、かわいそうに感じた。そして基本的には明るいあかりさんだったが、震災のことを思い出すと辛くなるときがあるようだった。何も悪いことをしていない子どもをここまで苦しめてしまう「自然災害」は、本当にいらないなと感じた。

2日目の夜は、陸前高田市広田町で民泊体験をさせてもらった。おいしいご飯をごちそうになり、震災直後の停電、お店が開いていないという状況下での生活の知恵をたくさん教えてもらった。楽しかったが、一晩では時間が全然足りないなと思った。なのでぜひまた行きたいと思った。

3日目の朝、牡蠣の養殖をしている佐々木学さんの話を聞いた。海について、震災後の取り組みについて、牡蠣について、熱く語る佐々木さんはとてもキラキラしていて心の底から将来こんな人になりたいと思った。佐々木さんみたいに若くて元気で頼りになる人達が、被災者の先頭に立ってみんなを引っ張ってくれているんだなと思うし、いつになるかは分からないけど、こんな人達がいれば、みんなが復興したなと思う日は必ず来ると僕は思った。

夕方、語り部の釘子さんと一緒に、陸前高田市内を見学した。気になったのは、最近完成したという新しく綺麗な家が並ぶ団地の家の様子だった。バスから確認できただけでも、お年寄りが3人、新しい家なのになぜか寂しい顔をして窓から外を見ているように見えた。それは、震災前の家に戻りたいのではないかと感じた。街の復旧と被災者の心の復興のスピードが違うというのがはっきり見えた瞬間だった。地域でいろんな人達と交流ができる場があるといいなと思った。

3日目の夕方から僕たちは岩手県の三大七夕祭りの1つ『うごく七夕まつり』に参加した。僕は山車を動かす係をしたので、どんな風に山車が動いているのかは見えなかったが、沿道でニコニコしながら山車を見る地元の人達の顔を見ると、嬉しくなった。ニコニコしていた地元の人達のなかには、震災後あまり笑うことが無くなったという人達もいると思う。そんな人達を笑顔にするお手伝いが少しでもできたのかと思うとすごく嬉しかった。途中、体が疲れたので、子どもたちが遊ぶ公園で休憩をしていた。遊んでいる子どもたちには、震災を小さい頃経験したという子、そうではない子ももちろんいると思う。この子達には、『東日本大震災』について後世に伝え、地震・津波の恐ろしさや防災の大切さを知ってもらう重要な役割が託されているんだなと感じた。キラキラと輝く山車の姿は、一生忘れないだろうと思う。またいつか、うごく七夕に戻って来たいと思った。

4日目は、みんなで最後のミーティングをした。ミーティングでは、自分が撮った写真のなかから1枚選びそれについての思いを話した。その後4日間のそれぞれの感想を話した。同じ高校生とは思えないほど、みんないろんな考えを持っていて、それを堂々と話す姿には、僕も頑張らないといけないなという気持ちにさせられた。4日間、命、家族、防災、さまざまなことを考え、それを僕と同じ高校生と共有することができ、今までで一番有意義な夏休みになったと思う。

最後に奇跡の一本松のモニュメントを見に行った。目の前まで行くとまるで被災地を見守るかのように高く立派に立っているなと感じた。これから復興のシンボルとして、地元の人達に希望を与えるポジティブな存在になるといいなと思った。
正直、スタディツアー直前まで今するべきことは島根の学生寮からまっすぐ広島に帰って平成30年豪雨の復旧作業のボランティアをすることなのではないかと複雑な気持ちでいた。でも、東北に実際に行って、多くの話を聞き、それを教訓として広島や島根の人達に伝えることが僕のやるべきことだと気づいたので、スタディツアーに参加できて本当に良かったなと思う。これからは、高い防災意識を持ち自分の命を、周りの命を自分が守ろうと、強く思う。4日間出会った全てのみなさん、ありがとうございました。

高校生東北レポート2018

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