(C) 菅野睦子

「災害は誰にでもふりかかることを胸に」東北スタディツアー参加報告 菅野睦子

2018/11/01

福島県南相馬市萱浜の上野敬幸さんを訪れ、ご自宅でお話を伺いました。上野さんは、東日本大震災により父親、母親、娘、息子を失いました。未だに父親と息子は行方不明です。そんな上野さんのお話を聞き、災害が人に与える恐ろしさを感じました。「過去のつらい思いを話すことは、治りかけたかさぶたを剥がすようなこと」と安田菜津紀さんがおっしゃっていたように、上野さんは私たちに話をする際、過去を思い出すことで時折つらそうに下を向く場面がありました。そんな時に、上野さんの横にある仏壇の、娘(当時8歳)の永吏可(えりか)ちゃん、息子(当時3歳)の倖太郎(こうたろう)くんの写真に視線を動かし、笑顔になる姿が印象的で、2人の存在が上野さんの心の支えになっていることを感じました。当時上野さんの心の中には、指定していた避難所に家族がおらず、安否が分からない思い、亡くなった自分の子どもを抱え安置所へ向かう思い、どれほど探しても子どもを見つけてあげられない思い、たくさんの思いがありました。その思いは7年半経った今も変わりません。上野さんは「もうこんな思いをしてほしくない」と願っています。しかし、その後も日本では自然災害が起き、命は奪われ、生き残った人々に深い傷を与えています。上野さんの願いは未だに叶わず、一生深い傷を負う人は増え続けています。私たちは、上野さんのあの時の思いを繰り返してはならないと思います。そのためには、家族で自然災害を乗り越えていかなければいけません。そして、災害時どう生きるか、家族で話し合う必要があります。

家族で話し合う内容の1つとして、あなたが避難する、避難所があります。震災時の状況や復興について語り部活動をする釘子明さんにお話を伺いました。釘子さんに、3つの質問をされました。1つ目は、自分の避難所へ行ったことはあるか。2つ目は、本当にそこの避難所は安全か。3つ目は、どういう設備で何の備蓄があるか知っているかです。私は1つ目の避難所へ行ったことしかありませんでした。実際に避難所へ行ったことはあっても、そこは安全なのか、もしそこで過ごすとしたら、とは考えていませんでした。防災士の佐藤一男さんは、震災時に家が津波で流され、避難所での暮らしをしました。佐藤さんは避難所での問題点を挙げました。赤ちゃんの対応、手足が不自由な人への対応、支援で外部から送られてきたものへの対応などです。このように多くの問題が避難所で起きた場合、どうするべきか私は分かっていませんでした。身近な場所にある避難所ですが、まだまだ分からないことは多くあると思います。まずは、釘子さんの質問の答えを自分で調べて知り、避難所で生活するとしたら、ということを考える必要があります。

東北を訪れ、「災害」を特に感じたのは、震災の影響が残る建物などを未来に伝えるために、壊さず保存している「震災遺構」を訪れた時です。震災遺構の宮城県石巻市立大川小学校では校庭にいた76名中72名と教職員11名中10名の命が奪われました。実際に訪れてみると、安田さんが「海に押される力より海に戻る力の方が強い」とおっしゃっていたように、校舎から体育館へ行く渡り廊下は確かに津波が引く方向に倒れていました。また、小学校周辺は住宅街であったにもかかわらず周辺は何もなく、ぽつんと大川小学校がありました。実際に訪れ五感を使うことで、「災害」の威力を思い知らされました。また、「災害」は小学生であろうが関係なく、襲いかかってくることを感じました。

南三陸防災庁舎という2031年まで一時保存されている建物は、かさ上げ工事のように復旧工事が進んでいる中、この震災の影響が残る防災庁舎だけ埋まっているかのようにありました。このように東北は「災害」を感じる場、復旧段階が進む場がある町並みです。家の外見に、津波の浸水深ここまで、というのが貼ってあるなど日頃から「災害」を自然と意識する環境だと感じました。私が住んでいる神奈川県は災害を身近に感じる場がありません。東北に比べ災害を意識する場がない街並みでは、防災意識は低くなっていると思います。この神奈川県に暮らしながら意識を高く保つために、災害は誰にでもふりかかることを胸に生きていくべきだと思います。

そして、スタディツアーで多くの方と出会い、出会った方それぞれに支援する形があることを学びました。宮城県石巻市の北上と20年ほど前から関わり続けている、写真家清水哲朗さんは東日本大震災後に避難所である体育館を明るくしようと、花写真を壁に飾る活動をしました。岩手県陸前高田市の広田町で民泊をした際、お世話になった特定非営利活動法人SETという団体の代表理事、三井俊介さんは、人口が減るからこそ豊かなまちづくりを目指して、全国から来た大学生に1週間で広田町の問題点を見つけ出し、どう解決するかという案を出し実行してもらうプロジェクトなどの活動をしています。同じく陸前高田市で、牡蠣養殖をする漁師の佐々木学さんは、消費者や、自分が持っていない知識を持つシェフや農家などと繋がることを大事にし、漁業をさかんにすることを追求しています。人それぞれ持っている得意なもので、人の気持ちに寄り添いその場にいる人のためになる活動をする姿がありました。また、三井さんから「とにかくやる」、佐々木さんから「失敗から学ぶ」という言葉を頂きました。人や町を支えるためにポジティブに物事に取り組む姿勢を学びました。自分だからこそできる活動、私の支援の形は何か考えさせられました。

色々な景色を見たり、言葉を頂いてきたツアーで、陸前高田市高田町で行われた「うごく七夕まつり」に参加しました。町内地区で分かれて装飾された山車がお囃子に合わせて町を回るこのお祭り。お盆で帰ってきている魂が迷わないように力強い太鼓を響き渡らせ、山車の上で短冊を吊るした笹竹を大きく揺らし、魂を迎え入れます。川原祭組は1世帯を除き、200世帯が全壊しました。故郷がなくなった人が大勢いる中でも、人、町が繋がることで未来に向かっている姿を目の当たりにし、来年も再来年も参加したいと思う素敵なお祭りだと感じました。

初めて訪れた東北でのスタディツアーを通して、私たちは自然と共生していることを忘れてはいけないと強く感じました。自然災害で被害を受けた地域で「こんなことが起きるなんて」という言葉がよく言われます。いつどんな災害がふりかかるか分かりません。教訓を知り、人、町を守ることを考え続け、実際に行動ができるようにしなければいけないと思いました。そして、東北の人の温かさを感じ、またすぐに東北を訪れたいという気持ちでいっぱいです。

高校生東北レポート2018

comments powered by Disqus

Next Quest