(C) 笠原麻由

「私もみなさんの想いを伝えていきます」東北スタディツアー参加報告 笠原麻由

2018/11/01

はじめに

私がこの東北スタディツアーに応募したきっかけは、被災した地域の現状を知りたいと思ったからです。福島県に住んでいますが、私の住んでいる地域に震災のことを思い出させるものは空間の放射線量を表示しているモニタリングポストくらいしかありません。震災関連のニュースも少しずつ少なくなっていく中、自分の目で7年経った被災地を見たいと思い応募しました。

私は震災について、また震災からの復興についてのニュースを見ていて、震災を転機と捉えて積極的に活動している人がいるのだと思っていました。一方で多くのものを失い、まだ立ち直れずにいる人がいるのだとも思っていました。しかし、津波の被害を実際に体験した方々のお話を聞いてから、どんなに明るく、楽しそうに笑っている人にもやりきれない思いがあることに気づきました。

海と共存していく

陸前高田で牡蠣の養殖を営んでいる漁師の佐々木学さんは、FISHERMAN’S LEAGUEという団体で日本や三陸の水産業の発展に尽力しています。牡蠣の養殖方法やマーケティングの苦労などを楽しそうに私たちに話してくれた佐々木さんですが、東日本大震災の津波で祖父の健太郎さんを亡くしています。しかし佐々木さんは、海は怖いだけの場所ではないと話してくれました。佐々木さんは「自分たちは便利だからと海のそばに家を建ててしまった」と自然との向き合い方を、この津波で再確認したそうです。これから海とどう共存していくか。佐々木さんは他の漁師さんや漁港の方と話し合って、新しい取り組みを始めています。

民泊でお世話になった木村さんご家族は玄関から海が見えるほどの近さに住んでいます。地震が起きたとき、一人で家にいたおばあちゃんは「揺れが収まってからでは津波が来てしまう!」と思い、激しい揺れの中、裏の山まで走ったそうです。木村さんご夫婦とは夜までたくさんの話をしました。夫の義則さんは普段は会社に勤めて、休日は先代から続く船で漁に出ているそうです。食卓にも多くの海の幸が並び、海とともに生活してきた義則さんは、自然を相手にしたとき、人間は無力である、と言います。いくら高い防潮堤を建設しても、人間が自然を大切にしない限り津波の被害は無くならないと言います。おばあちゃんが揺れの中、山に逃げて助かったように、昔の人はよく知っています。その地域に伝わる災害の歴史や、防災の知識を受け継ぐことが6メートル高くした防潮堤より大切なことではないかと思いました。

同じ想いをしてほしくない

陸前高田市のグローバルキャンパスでお話を聞いた佐藤一男さんと娘さんのあかりさん、そのお友達のあやかさんには3月11日のご自身の経験をお話していただきました。佐藤さんご家族は震災前から津波について話していたため、それぞれ高台に逃げることができました。佐藤さんは自らも避難生活を強いられながら、避難所の運営も行い、その経験から私たちに防災についてお話をしてくださいました。佐藤さんが私たちに話すのは復興を進めてほしいからではなく、同じ想いをしてほしくないと思っているからです。

この想いは南相馬でお話を聞いた上野敬幸さんも同じでした。上野さんはご両親と長女の永吏可(えりか)ちゃんと長男の倖太郎(こうたろう)くんを津波で亡くしました。家族を守ることのできなかった悔しさで自分も後を追うことを考えたこともあったそうです。しかし、震災当時、奥さんのお腹の中にいた次女倖吏生(さりい)ちゃんを守るために上野さんは今も南相馬で生きています。上野さんから聞いた震災後の南相馬の様子は、想像を絶するものでした。とても辛かったと思います。普通の人なら耐えられないものだったと思います。

私は上野さんについての資料を読んで、とても強い人だと思っていました。ご家族を亡くした南相馬で、復興浜団として復興に向け前向きに活動していると思っていたからです。しかし上野さんにお子さんの話を聞くと、永吏可ちゃんと倖吏生ちゃんの名前を間違えることが多くありました。上野さんは今でも、家族の死を受け入れられずにいるようでした。何度も仏壇の遺影を見て、確認しながら私たちに話してくれました。上野さんは永吏可ちゃんと倖太郎くんを守れなかったのは自分のせいだと言います。この悔しさを感じてほしくない。そんな想いで上野さんは私たちに辛い経験を語ってくださいました。上野さんの家の前で撮らせてもらった、上野さんの笑顔の写真は私のお気に入りの写真です。

私たちはこのツアー中に震災直後の海辺の地域のひどい様子を聞いたり、写真を見せてもらったり、また、かさ上げ工事や防潮堤を高くしている工事の様子を見てきました。かさ上げ工事をしている地域は人が戻るのかなと思うところもありました。

3日目に取材をさせていただいた「うごく七夕まつり」は町のみなさんで作った山車が夜の陸前高田を照らし、とてもきれいなお祭りでした。川原祭組の会長、佐々木芳勝さんにこのお祭りについてのお気持ちを聞くと、「町が流されたから、津波に耐えたこの山車が自分たちにとってのふるさとなんだ。だからみんながこの山車に集まるんだよ。」と話してくれました。私は佐々木さんのこの言葉の持つ意味を考えさせられました。多くの人の想いの詰まったお祭りを楽しませてもらいました。

この東北スタディツアーに参加させてもらって、見たもの、聞いたこと、そして出会えた方々は私に大きな影響を与えてくれました。語り部の釘子明さんは、被災地の辛い話は持ち帰らなくていいからそこから活かす何かを持ち帰ってほしいと思って、語り部の活動をされています。今回話を聞かせていただいた多くの人の願いである、「自分と同じ想いをしてほしくない」ということ。私もみなさんの想いを伝えていきます。

南相馬も石巻も陸前高田も、私の大好きな人がいる、私の大好きな場所です。また、みなさんにお会いしたいです。安田菜津紀さん、OLYMPUSの方をはじめ、このスタディツアーに関係いただいた全ての方に感謝しています。本当にありがとうございました。

高校生東北レポート2018

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