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「これから自分たちが災害とどう向き合っていくか」高校生・東北スタディツアー参加報告 尾崎由佳

2018/11/01

多くの発見、出会いがあった4日間。本当に最初から最後まで学びばかりのスタディツアーだった。私は昨年と一昨年に学校の取り組みで東北を訪れ、地元の高校生たちと交流を行うなどしてきたが、今年は違う視点から震災と向き合って、その経験を自分の写真と言葉で伝えたいと思い、受験生ながらこのスタディツアーへの参加を決めた。

一日目、最初に話を伺ったのは、南相馬市萱浜の上野さんという方だった。福島というと原発のイメージが強いかもしれないが、福島沿岸部にも津波が来て、多くの人が被害にあった。上野さんの子供である永吏可ちゃんは家の裏で見つかり、倖太郎くんは今も行方不明だ。当時の話は今回のツアーの中でもかなり強烈に印象に残るものだった。「東北を忘れないで欲しいとは思ってない。それよりも、今ある命や家族のことを考えてほしい。」 辛いという言葉では表せない、そんな経験をしてきている上野さんだからこそ伝わるものがあった。上野さんは震災の年から毎年、地域で亡くなった人々の数だけ鎮魂の花火を上げている。最初は皆が泣きながら見ていた花火だったが、年を重ねるにつれて笑顔がみられるようになり、今は子供たちの笑い声が響く、そんな行事になったそうだ。上から心配して見ている永吏可ちゃんと倖太郎くんに「自分は大丈夫だよ」と伝えるため、笑顔でいようと思うようになったと上野さんは言う。

その後、大川小学校を訪れた。雨が降る中で、私たちはむき出しになった鉄筋、曲がったスピーカー、折れた連絡通路を見た。付近にはひまわりが咲いていた。生と死が混在していたその光景が今でも目に焼き付いている。私は、大川小学校はあのとき子供たちと一緒に死んでしまったのかもしれないと思った。それでもこうして震災遺構として残って、動くこともなくただ無言で私たちに何かを訴え続けている。

二日目、かさ上げした土地の上にあるさんさん商店街では、南三陸町の名産であるタコのキャラクター、オクトパス君のイラストが看板などにみられた。お土産や地域の特産品を売るお店が立ち並び、産業が活気づく姿を見て嬉しく思った。商店街の向こうには2031年まで残されることが決まっている防災対策庁舎が見える。買い物だけでなく震災のことを学ぶことができた。

午後は仮設住宅で暮らす佐藤一男さんとその娘で中学三年生の佐藤あかりさんから話を伺った。一男さんは避難所の運営に携わっており、避難所生活での出来事や運営の難しさ、被害を防ぐためにできることなどを具体的に話してくださった。避難所において「要支援者」にあたる人は高齢者・女性・LGBTの方々を含めると8割にのぼり、様々な配慮が必要だったことや、情報が手に入らなかったこと、時間の経過につれて必要な支援物資の種類も変わっていったことなど、避難所のリアルな実体験を聴くことができた。また、災害時の情報収集はツイッターが便利だということなど新たな発見もあった。あかりさんは震災当時小学生で、以来ずっと仮設住宅で暮らしてきた。仮設住宅の壁は薄いため、騒ぐと怒られ、遊ぶスペースも狭く、ストレスを感じることもあったという。子供たちに頼られる存在だというあかりさん。参加者の質問に答えるうちに泣いてしまう場面もあった。私たちはあかりさんの中に残された震災の爪痕を目の当たりにして、ただ呆然とするしかなかった。一男さんが「震災のときの記憶が、こうしてときどき心の中に還ってくる。君たちにはそういう思いをして欲しくない。」とおっしゃったことが印象に残っている。

夕方には陸前高田市広田町に向かい、民泊でお世話になる家族の皆さんと対面した。私が泊まらせて頂いた三井さん一家は、三井俊介さん・美帆さんと小さな女の子二人の四人家族だった。俊介さんはSETというNPO法人の代表理事をしており、夫婦は二人とも、震災後に広田町にIターンしてきた移住者だ。SETは震災発生からわずか数日後に発足し、広田町を拠点として、民泊事業や短期移住プログラムなどの広田町を活気づける活動を行ってきた。その事務所にも連れて行ってもらうと、ものすごい数の大学生や社会人の方がいて驚いた。SETの活動に携わるメンバーは年々増加し、今は150人ほどだという。また、三井家の小さな姉妹はとても可愛らしかった。私は小さな子供と接する機会があまりなくて少し苦手意識を持っていたのだが、一緒に民泊した他の二人の参加者の助けもあって、心配する必要はなかった。姉の渚咲ちゃんは3才だが、まだ0才の妹をさりげなく思いやる姿、それを優しく見守る両親を見て、とても感動した。子供は本当に素晴らしい宝物だと実感した。

三日目の朝に三井家とお別れし、牡蠣養殖を営む佐々木さんたちに、船で牡蠣いかだのすぐ近くまで案内してもらい、その後は佐々木さんから養殖の手順や米崎牡蠣を多くの人に知ってもらうために行っている工夫や取り組みなどを教えて頂いた。佐々木さんは加工場に隣接する飲食店を経営することを目指していて、新しいことをしようという活気にあふれていた。

陸前高田で語り部をしている釘子さんの話は、これから自分たちが災害とどう向き合っていくかを考えさせられるものだった。あの日、津波はたった4分で街を飲み込み、避難所だった公民館や市民体育館にいた人たちも犠牲になってしまった。避難した経験があまりない人々は避難所に行けば大丈夫だと考えてしまいがちだが、その避難所が安全か、備蓄は充分にあるのか考えてみたことはあるだろうか。避難所について、もう一度真剣に考えていきたい。東北には昔から「津波てんでんこ」という言葉がある。「津波が来るときは皆がてんでんばらばらでいいから逃げろ」という意味だ。その津波てんでんこをすぐ実行するためには、どこに逃げるか家族と話し合うことが大切だ。日本は自然災害の国だという自覚を持って歴史をひも解いてほしいと釘子さんはおっしゃっていた。自分の地域で過去にどんな災害が起こったのか、また私の住む鳥取や日本海の沿岸に津波が来たことがあるかどうか調べようと思う。

この日の最後は、高田町のうごく七夕まつりに参加した。私は東北の祭りを見るのは初めてで、山車が方向転換する際の勢いがとても新鮮に感じられた。それまでに震災で何が起こったのかという現実を学んできた私は、ここにいる高田の人たちが震災の悲しみを乗り越え、今こうして華やかな山車を引き、太鼓や笛を鳴らしているのだと思うと、嬉しさとか感動が混じってよくわからない感情になり、涙が出そうだった。夜の闇に光る沢山の山車たちは、空の上の人々に「ここにいるよ」と伝えているようだった。

最終日がやってくるのはあっという間だった。最後のミーティングでは参加者それぞれが一枚写真を選び、思いを共有した。スタディツアーの中で沢山の写真を撮ってきたが、私が選んだ一枚には山車の上で太鼓をたたく男の人と一緒に掛け声を上げる子供たちが写っている。この4日間で子供たちは希望の象徴だと思う場面が何度もあった。七夕まつりが継承されていくように、津波の教訓も後世に伝えられていくのだろうと感じた。また、9人の仲間たちそれぞれの長所が発揮されているのを感じたが、私自身はまだ積極性が足りないということを痛感した。お話を伺った際には質問の機会が設けられることが多かったが、なかなか質問が浮かばず順番が最後に回ってくることや、質問さえできないときなどもあった。私は物事への配慮が足りないとよく言われることもあり、自分の言葉で被災者を傷つけたくなくて色々考えていたら、途中から何を質問したらいいかわからなくなってしまった。この点については今でも貴重な機会を無駄にしてしまったという後悔が残る。しかし、この気づきや後悔は必ずどこかで生きてくると信じている。

最後に、東北での人とのかかわりを通して、自分の中で様々な課題は見つかったものの、そのことも含め私はひとりの人間として成長することができた。安田菜津紀さん、一緒に学びを深めた仲間たちをはじめ、このスタディツアーで出会った全ての人に感謝したい。ありがとう。

高校生東北レポート2018

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