(C) 鵜飼桂子

「“家族”の存在を見つめ直す機会に」高校生・東北スタディツアー参加報告 鵜飼桂子

2018/11/01

温泉から見える海は荒れていた。あの日を、想像させた。岩々が波にのまれていく姿がかさなり、気がつけば涙が出た。未だに会えない人がいるって、どういう気持ちだろうか。大切な人に会えない苦しみと死を受け入れられるべき遺体を見る二重の苦しみは、向き合うだけで自分の首を絞めたくなる。夜中、流れてくるがれきにスクリューが絡まないようにエンジンだけをつけ、海上で聞いた「助けて」の声が消えていく。津波から逃れるために、握った両親の手をはなす。死んだ自分の子どもを抱きながら安置所へ行く。こういった話には、自分がつぶされていきそうな恐怖や不安を感じた。

優劣がない命たちの生活に優先順位があることのもどかしさとやるせなさで、海のことを考えるだけで泣くようになったその日、「ソフトクリーム食べないの?」と声をかけてくださった人がいた。心の整理がつかないでいた私にとって「大丈夫?どうしたの?」と聞かれるよりも心が楽になった。あのソフトクリームがなければ私は海に向き合うことができなかったが、そんな声をかけてくださったのはオリンパスのスタッフだ。しかし私にとって彼は東北とカメラを愛するお兄ちゃんだ。そしてお話を伺った上野さんは被災者代表としてではなく、我が子を想うお父さん。今もなお仮設住宅に住むあかりちゃんは狭い部屋に住む可哀想な同世代としてではなく、少しシャイなラブライブ好きのお姉ちゃんだ。そこに人は住んでいて、たしかに生きている。私は被災者や企画の参加者というフィルター越しに彼らを見ていたことに気づき、向き合うべきはものではなく人で、そして人は家族だと知った。あの温泉から海を眺めるとき、また涙が止まらなくなるかもしれない。それでもまた行きたい理由は、あのソフトクリームがあるからだ。私はチョコレートが好物だがその温泉のソフトクリーム、バニラといちごのミックスは最高に美味しかった。

海。それを語ろうとすると防潮堤や護岸を思い出す。東日本大震災での津波被害を受けて、まるで町が海を拒んでいるかのように防潮堤に隔てられ、海が見えなくなる地域もある。2011年3月11日のあの日の経験は私たちに自然の怖さを伝えたが、我々はまた自然に抗うようにして自分たちを守ろうとしている。

平成30年7月豪雨では岡山県倉敷市真備町にて、湖に家屋の屋根が浮かんでいるかのような衝撃的な映像が報道された。原因は小田川の堤防が決壊したことによる浸水被害であった。また、9月上旬に上陸した台風21号は、関西国際空港にて滑走路を浸水させ全便欠航になり交通に支障をきたす被害となった。これは非常に強い勢力のまま上陸した台風により、高潮が海上空港である関西国際空港の滑走路を飲み込んだからである。東北スタディツアーは8月に行われたが、この前後でもこのような水に関わる被害があった。これらの被害で亡くなられた方や、被害に悩まされる方々がいらっしゃる。防潮堤や護岸は波を少なからず遮ることはできても、命を守ることはできない。その存在感で安心するのではなく、あくまでも避難のための時間稼ぎのような感覚でいたいと思うようになった。

未だに海のことを考えると心拍数が一気に高くなる。自然というものは恐ろしく怖い。けれど私たちの生活は自然の恵みを受けていることも事実だと、民泊を受け入れてくださった岩手県陸前高田市広田町の木村貴子さんはおっしゃった。木村さんの作ってくださった食事をみんなで食べたとき、その本質の一部を捉えた気がした。

東北スタディツアーではうごく七夕まつりに参加させていただいた。駅前組が私の1番好きな山車だ。その山車では、小学3,4年生くらいの女の子がお囃子として笛を吹いていた。彼女に震災当時の記憶があるのか、あるいはまだ生まれていなかったのかもしれないが、生まれた意思は消えるのではなく変わっていくのだと彼女の笛の音を聴いて感じた。受け継がれる意思もあるのだろう。震災直後と今では願うことややりたいことが違うが、家族や思い出がそこにあるという事実は変わらないからこそ、それが行動する原動力になるのだ。上野さんをはじめ、今回お話を伺った方々が何度「家族」と言ったか数えきれない。懸命に太鼓をたたき続ける表情や汗、赤い短冊を掲げたようなどこにも負けない大きななんばんは、先祖や亡くなった家族に「私たちはここにいるよ」「生きているよ」と呼びかけているように感じた。また、さんさん商店街で見た七夕の短冊には、小学校低学年生の字で「幸せになる努力と行動力をください」と書かれていた。震災後に生まれた女の子は、津波に流されたお姉ちゃんやお兄ちゃんに会いたいとサンタさんに願っていた。大人の姿や話を彼女たちはどのように感じたのだろうかと、思わず自分とかさねた。「家族」の存在をもう一度見つめ直す機会になった。

違って見えてもいい。
現実を受け入れることができたとき、多分また会える。
いつかみんなで足並みを揃えることができる。

しかし私は、このスタディツアー後にある行動で人を傷つけてしまった。9月に上陸した台風21号について関西圏に住んでいる友だちが、当時彼女がいたビルの下まで、氾濫した川の水がとどく瞬間を撮影しSNSに投稿したときだ。平成30年7月豪雨を経てもなお水というものの影響力を知らないのか、なぜ彼女はそのビルにいるのか、と憤りを覚えたことを、執拗に相手が傷つく言葉でSNSに投稿してしまった。しかしこれは私の「当たり前」を人に押し付けた行為だった。人の命令で他人を動かすことはできない。だからこそ私は「行動したい」と思ってもらえるような言葉のキャッチボールをすべきだった。

今日は穏やかな海が明日は違う。今日となりにいる私の大切な人が、明日も笑顔でここにいるとは限らない。「当たり前」という言葉は、一人一人の一種の基準を意味した言葉だと思うが、それはどこの組織の中での基準なのか。東北の方々が、これほど心温かい理由は、「当たり前」という言葉の果てを知っているからではないだろうか。ありがとうの対義語は『当たり前』。この言葉を私は聞いたことがあるが、これは「自分と人の生活を比較することで豊かな自分の生活に毎日感謝して生きよう」ということではない。「組織の中での基準・ものさしにより人が傷つくことがある。そのボーダーを下げていく、あるいはなくしていくことで生まれる幸せに『ありがとう』と考えるようになった。東北スタディツアーで関わった方々がそれを教えてくださった。ありがとうございます。

「後で撮ろう、はできない。思い出のかけらの1つでもうつっていたら。それを見たいと言ってくれる人がいつか現れたら。」と写真家の清水哲朗さんはおっしゃっていた。写真を撮ることが目的にならないように。何を伝えたいのかを考えるように、今度は私が悲しむ人にソフトクリームを渡して笑顔を撮り、風や音、湿り気さえも写真に収めよう。

高校生東北レポート2018

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