ウガンダからの風

2014/03/01安田菜津紀

初めてのアフリカ、初めてのウガンダ。やや緊張しながら足を踏み入れたのは、1ヶ月前のことです。

思えば写真を始める前の大学2年のときから、ずっと行きたいと思っていたウガンダ。

そもそもの切っ掛けは大学時代、「あしなが育英会」で親を失った奨学生が体験をシェアする「つどい」に参加したときのことです。そこで初めて、ウガンダのエイズ遺児の留学生のリタさんに出会ったのです。

「私はウガンダの大統領になってみせる。私が大統領になることを諦めるのは、国を愛していないことであり、家族を愛していないこと」。

エイズで父親を失うという逆境を乗り越え、ウガンダから早稲田に「あしなが育英会」の支援を得て留学。血のにじむような努力だったはずです。

「日本に来たら皆私のことを可哀相って言う。でもウガンダではそんなこと言われたことない、ごく当たり前のことだったの」。

彼女の言葉に触れ、話す度に、彼女が育ってきた環境を知りたいと思うようになりました。

昨年からカンボジアのHIVの取材に携わるようになったのも、そして彼女に出会ったのも、本当に何かのめぐり合わせだと思いました。

毎度のことですが、まだまだこの滞在を上手く言葉にまとめることができません。HIVの問題、と一口に言っても、それはただ単に病気の問題という枠を超えて、社会の問題、貧困の問題、そしてなにより、家族や心の問題でもあるように感じます。

一番多くの時間を過ごしていたのは、お父さんはエイズで亡くなり、お母さん、そして13歳のレーガンという男の子が遺された家族でした。レーガンには母子感染があり、肌は薬の副作用でぼろぼろになっていました。

「体の病気と同じくらい恐いのは、希望と将来を失うことなんだよ」。13歳の少年の刺さるような言葉。

彼の言葉に触れながら、何度も自分に問いました。写真で伝えることは、無意味なことなのだろうか。自分は何の資格があって、人の領域に足を踏み入れさせてもらっているのか。

「写真、上手くなりなさい」と常々言われる私ですが、その意味を今回噛み締めた気がします。

それは「写真を目的にしなさい」ということではなく、「込めたい気持ちに技術が追いつかなければ、悔しいし相手に失礼だ」という意味なんだと。

クリスマス・イブの日、レーガン一家からクリスマスにプレゼントをもらいました。拾ってきたらしいボロボロの靴箱と包み紙を開けると、手作りのネックレス、そしてタイヤで作ったサンダル、靴箱の裏には、家族3人からのメッセージがびっしりと書かれていました。

レーガン一家を取り巻く過酷な環境、そしてその中に確かに存在するあたたかさに触れ、結局意味のあるものにできるかどうかは、自分次第なのではないだろうか。そう、考えるようになりました。

今回ご協力頂いた皆様、現地で偶然にも一緒になったフォトジャーナリストの渋谷敦志さん、そして見ず知らずの人間だった私に心の中を語ってくださった家族の皆様に、改めて感謝です。

また今年も、ウガンダに必ず渡航します。

(2011年1月 旧E-PRESS掲載)

安田菜津紀(Natsuki YASUDA)

1987年神奈川県生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。上智大学卒。

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